toripiyotan

何回もおなじこと喋る

エイリアンたち

後日更新だと思ったでしょ!?わたしも!!

でもなんだか自分でも気になって眠れそうにないから思いつくまま書いてしまおう。

 

〜前回までのあらすじ〜

toripiyotan.hatenablog.com

 ロクちゃんは実家で10年以上暮らす元気バチバチのイケオジ犬だ。でも正直かなり人間にとって面倒の多い子で、しつこく大きな声で吠え続けるし、散歩に連れて行けばすごい勢いで走り引っ張り人間は腕や足を痛める。だからずっとお庭に繋ぎっぱなし。家族たちはみんなうんざりしていたのではないだろうか。

実家から少し離れて暮らしているわたしのメンタルの状態がやや回復した頃、意を決して散歩を担うことにした。と同時に、そういえば犬について何も知らないな、この行動や吠えはどういう意味なのかなと本を借りて読むことにしたのだけれど、その際頭でっかちなわたしは子犬のしつけ本などではなく動物行動学の本を手に取ったという次第だ。

 

マーク・べコフ博士の著書は、わたしに動物と人間を分けるものについて深く考えさせてくれた。何が人間をそう特別にしているのだろう。言語の使用か?でも、人間には分からない方法で、犬も動物も虫も魚も「コミュニケーション」をしている。複雑な感情だろうか?しかし彼らも、嫉妬や気まずさ悲しみなどを感じることができるし、完治不可能なほどの鬱を経験し、食事を拒否してあたかも自殺のような方法で飢えて衰弱して死ぬことがある。では社会や文化はどうか?海洋生物も陸上の哺乳類も鳥類も、家族を中心としたコミュニティを作って子育てをし採餌をし、学習したことを下の世代に真似させて受け継ぐことができる。

 

いくら書いても書き足りない!わたしなんか一般書を読んだりさらっと授業で学んだ程度の知識だけれど、哺乳類・鳥類・昆虫そのほかイカやタコや魚にも、程度の差と種類の差があれど情動(感情)があり協力関係があり欺きがあり慰めがあり記憶がある。それらを知れば知るほど、人間がいちばん進んだ進化の先にいて、他の生き物たちがそれよりちょっと後ろの方にいるような人間中心主義の捉え方をしていられなくなる。まるでドクター・フースタートレックの世界だ。互いに文化と社会のあるれっきとした対等な種族同士。しかも我々はおそらく、努力をすれば、耳を傾ければ、言っていることがわかる。歩み寄れる。だけど基本的には、未知の存在同士だ。どうしてこれが分からないんだろう?と不思議に思いフラストレーションを感じながらの。

 

そんな独自の世界を構成しながら生きる別種族の生き物たちのことを、人間で例えれば四畳半にも満たない生活スペースに閉じ込めて親や兄弟や友達から引き離し食べさせ太らせまだ幼いうちに屠殺して肉にしたり、永遠に乳を出すよう妊娠させ続けたり、あるいは実験室で強制的に病気にさせたり長期にわたって苦痛を与えるのに使ったりする。なんの権利があって?

わたしだったら嫌だな。

カート・ヴォネガットの小説に出てくるトラルファマドール星人に捕まるか育てられるかした末に「きみは人間だからね」ってシステマチックに苦痛を与えられ続けたり殺されたりするなんて考えただけで憂鬱になる。

エイリアンじゃなくても、そういう話は割と身近にもある。例えばフェミニズム。妊娠して子供を産んで育てなさいとか、お茶を出すのが仕事だろうとか、触られるくらい我慢しろとか、そんな遅くに歩いてるからだろとか。それはなぜかというと全部「女だから」だそうだ。は?なに勝手に劣った存在にしてんだ?なに勝手に役割押し付けてんだ?…しかしそれをわたしたち、いやわたしは彼らに対して無言のうちに言っている。「牛だから」「豚だから」「鶏だから」「犬だから」。彼らがどのような性質を持ち、どう生きるようさだめられた文化や社会性の遺伝子を内包して生まれてきたのかなど気にもかけずに。ウロウロしたりゴロゴロしたり好きなもの食べたり好きな友達と会って元気?って触れ合ったりすることさえ奪われる。「人間じゃないから」。

 

そういうことを考えていたら、どうしてもこれはもう、とてもじゃないが耐えられないなと思った。加担したくない。是正したい。とはいえ性格的にもすぐには無理。押しつぶされて、苦しい気持ちと自己嫌悪で地元の大きな橋から川に飛び降りたくなる(足を折る程度の高さしかないけど)

 

たぶん、肉をやめる!と思うから大変なのだ。今の資本主義社会がすべて、動物搾取の上に出来上がっているから。これまでの何もかもが転覆させられるような不安を感じるし、怖くて、無理な気がする。だから今はまだ選択肢を増やす段階としての豆活を、ちょっとずつ暮らしの中でチャレンジしていっている。十分増やした後に、ふんっそんなのなくても平気だわと、やめようなんて意識することもなく、肉食から手を引けるように。そうすれば、工業的に、車か椅子か靴下のように、物のように動物を生産し利用し加工し消費するこの社会の当たり前のあり方も、きっと転覆できるんじゃないかな。わたしはまだその入口あたりにひょこっと顔つっこんでる程度だけど……。

 

アニマルライツの考えや家畜生産消費による気候変動環境破壊については触れなかったけれど、どちらかというとヴィーガニズムの基本はそちらだと思うので、そして丁寧に情報発信してくれている素晴らしい人がたくさんいるので、興味があれば調べて読んでみてね。あくまで今回は、最近のわたしが何がきっかけでオールベジごはんの日チャレンジをやっているかっていう話。