toripiyotan

何回もおなじこと喋る

宝石泥棒[ショートストーリー]

全速力で走る足がずぶずぶと地面に吸い込まれる。

悪態をつきながら柔らかい泥からブーツを片足ずつ引き抜いて前に進もうとするが、体がゆっくりと飲み込まれていくのをほとんど防ぐことができない。

急にスピードを落としたことよりも大声で世界を呪う言葉をいくつも叫ぶ僕の声に気づいて連れの一人が戻ってきてその巨大な手を僕の分厚いジャケットの背中に引っ掛ける。しかし僕と違ってほとんど引き裂く目的で進化した手をもつ彼には掴むという行為はいささか厄介なため大きな顎で僕の肩を優しく噛んでズルズルとぬかるんだ沼地から引っ張り上げてくれた。

 

「大丈夫か」

僕は息が上がっていて声が出せないので頷いて感謝を込めて彼の肩をバンと叩いてまた走り出した。

少し先には彼のパートナーが止まって僕らの背後に油断ない目を向けながら待っている。僕らが彼(あるいは彼女、彼らの種族に僕らのような性別はあるのか?今度聞いてみなければ)に追いつくと、小川の底を丸い石が転がるような声で囁いた。

「追いつかれそうだ」

彼らは固くて密集した毛で全身を包まれているがそれと比較して僕は体のほとんどが無毛と言ってもいい。沼にハマったせいでブーツの隙間から冷たい水が染み入っていて凍ったように痛んでいたが走り続けた。

 

徐々に地面が硬くなってくる。遠くには木々が互いにぶつかり合うような深い森が見えるがその手前には開けていて見晴らしの良い草原があった。虫たちが餌と繁殖のために飛び交い、陽の下で羽をキラキラと反射させている。

開けている草原は美しいが追われている今は見通しが良すぎる。僕らはスピードを落とさず突っ込んだ。

ばきばきばきと足の下で草が鳴った。可愛らしいのは見た目だけで、僕の知る穏やかな草原とはだいぶ違う、硬い茎と長い棘とが絡み合った藪で進むたびに膝から下が引き裂かれた。僕は唇を噛んで耐えるなんてタイプじゃない。ここでも盛大に悪態をついた。

 

「クソっ!この星では意地悪な植物しか生きてられない法律でもあるのか」

僕はようやく鬱蒼とした木々の下に逃げ込んで破れたズボンとブーツの下の裂き傷を確かめながら言った。

「羽音が聞こえる。早く」

彼らの片方が言った。

どちらも白と茶と灰色のまだらをした毛むくじゃらで大きな目をしているので僕には正直どちらがどちらなのか分からない。横に並べてよく見比べればまだら模様が微妙に違っているようだけれど、見慣れない種族は彼らの間の微妙な違いより彼らと自分との間の大きな違いの方に意識を奪われがちになるものだ。きっと彼らも僕のことを僕の種族の中から見分けることなどできないだろう。

彼らほどよく聴かない僕の耳も、微かに羽音を捉えた。大きな虫が立てるような、重たく低い振動音だ。数十、百くらいはいそうだ。まあ当然だろう。

 

「もうすぐのはずだ。急ごう」

森の中では僕が先頭に立った。足は一番遅いが、場所を知っているのは僕だけだからだ。絡み合った枝や張り出した幹をグネグネと避けながらではあまり早くは進めない。

僕は転ばないように、しかしできるだけ大きく足を運び、僕の後ろの二人は羨ましいほどの遺伝的身体能力の高さでひょいひょいと後をついてくる。

僕は時々地面や木々にUVライトを当てて目印を確認しながら森の奥へ奥へと進んでいく。僕の目には見えない目印だし到着した時には良い案と思ったのだが、まさか相手が虫だとは思っていなかった。奴らは僕と違ってライトなどなくとも紫外線を視る。つまり僕自身だけが僕の目印が見えないというわけだ。なんというアイロニーだろう。

 

森の真ん中にポッカリと小さな広場が現れた。上から見ると木々の地平に開いた落とし穴のように見えるだろう。その真ん中に弾丸のような形をした小さな船が停まっていた。僕が1週間前に離れた時と同じ場所に無傷でのどかに待っている様子に心から安堵した。

「あれだ」

僕は急いで近づいていってハッチを開けると彼らに乗り込むよう促した。

心臓がドクドクと急きたててくる。

無視しようのない羽音に取り囲まれている。気分の悪くなるような風が四方八方から木々の葉を轟々と揺らしていて、低音は耳というより内臓を振動させてくる。まだ姿が見えていないのが不思議なくらいだ。

 

僕は小さな船の小さな操縦席に自分の体を押し込んで電源を入れた。

まだら色の友人たちは僕より体が大きくほとんどかがみこんで両手両足で踏ん張って立っている。補助シートを出してやりたいのは山々だが、今は快適な空の旅を提供してやる余裕がない。脱出のためにはもう一秒も無駄にできない。

離陸を開始したところで追手の姿が現れた。

体は僕の半分ほどだが四枚の羽は僕の両腕よりも長い。その容姿の最も近い例えは、ちょっと丸っこい巨大な蜂といったところだろうか。それが集団でものすごく怒り狂って僕らの船に突っ込んでくる。ひとりふたりくらいなら体当たりされても心配ないだろうが、数十で取り囲みのしかかり歯を立ててくるならあっけなくバラバラにされて引きずり出されかねない。

僕は船を一気に急上昇させた。エンジンシステムがビービーと警告のアラームを発してくる。一直線に大気圏を抜けようなど気は確かかと言いたいのだ。けれど宗教的義憤に駆られた巨大な蜂の大群に八つ裂きにされるのと逃げ切る途中で船ごと黒焦げになるのなら僕は後者を選ぶ。それに何とかなるかもしれないし。

 

フロントガラスにしがみついた蜂に似た兵士たちが何とか穴を開けようと強靭な自慢の顎でガラスをひっ掻いている。船体のあちこちに細くてギザギザとした脚がかけられていて重たいが、高度が上がるたびひとり、またひとりと剥がれていき、どうにか追いつこうと後ろを追っていた奴らも少しずつ減っていった。

僕はぐんぐん高度を上げながら大汗をかいていた。シートに背中が押し付けられて重い。ちらっとミラーで確認すると毛むくじゃらの友人のひとりは嘔吐し、もうひとりは初めての航空体験に震えていた。

 

ようやく追手を全て振り切り船を軌道上で安定させると僕は船体のハード面とソフト面のチェックをし、満足してくるりと友人たちの方を向いた。

「大成功だ!重大な損傷もほとんどなし!兵士もここまでは追ってこれない。自由だ。僕も、きみたちも」

僕ほどには事態をまだ実感できていないふたりに僕は水のボトルと顔を拭くものを手渡して、それから命懸けで守ったものをジャケットのポケットから取り出しスキャナーにセットして覗き込んだ。組成を再度正確に確認し、消毒のプロセスにかける。

 

「それは、結局何なんだ?君が神殿から盗み出したもの」

嘔吐から回復した彼が僕の背中に尋ねかける。僕は振り向いてにっこり笑った。

「君たちは神の宝石って呼んでるよね」

彼が頷く。

もうひとりの彼はまだショック状態だがそれが地面から離れたせいなのか神殿にあるべきものが目の前で雑にポケットから取り出されたせいなのかはわからない。ぎゅっとパートナーにくっついている。

僕は消毒プロセスの終わった宝石を摘み出してナイフでカリカリとごくごく小さな破片に割ってヒョイと口に放り込んだ。ふたりが仰天して目をまん丸にし顔中の密集した毛を逆立てている。その顔が面白く僕はくふふふふふと意地悪く笑った。

「これはソディアムクロライド、塩だよ。僕が生きるために摂らないといけない食べ物なんだ」

僕は口の中で溶ける破片の感触に目を閉じた。故郷からこんなに離れた場所で見つけられるとは思っていなかった。

 

「でもそれは何というか神への冒涜にはならない?」

震えていた方が口を開いた。僕はがばりと目を開いて言う。

「僕は君たちの神様に詳しくはないけどね、でも仮にも神様が自分に宝石を供えて飾り立てろなんて言ったと思う?死にかけの旅人がそれを食べて生き延びられるとしても?神殿に奉納して旅人は見殺しにしろって?」

ふたりは何か言おうとしたけれど僕は遮って言った。

「それに君たちみたいに親切で勇気も信仰心もあるふたりが一緒になることも許さず追放するような神様は神様としてあまりに狭量だと思うよ。悪いけどね。そしてむしろそれは神様がというより神殿が、というべきだけど」

ふたりは互いに顔を見合わせた。それから互いに互いの鼻先を擦り合わせ、まだら模様のひとつのかたまりのように顔をぴったりくっつけ合った。

ようやく自分たちの自由と安全を実感し始めた友人たちに僕は清々しい気持ちで尋ねた。

「さて、僕の恩人たちをどこに連れて行こうか?」