toripiyotan

何回もおなじこと喋る

どうやってお話を思いついているの?

わたしが再び(何度目かの再び)お話を書くようになって、はや2ヶ月ほどとなった。たまに、どうやってアイデアを思いついているのか、ストーリーの形に膨らませているのか、ラストは決めてから書き始めるのかといったことを聞かれることがある。

実はこういう質問、パトリシア・ハイスミスもアーシュラ・ル・グインもよく聞かれるんだよねってエッセイで書いていたので、普段オリジナルをあまり書かないひとにとってかなりユニバーサルな疑問なのかもしれない。

わたしの場合はどうなのかを書いておく。読んでもし参考になったらその足ですぐ何か書いて欲しい。短くてもしょぼくても関係ない。何もかもあなただけのお話を読ませて欲しいし聞かせて欲しい。

 

わたしの場合は、ちょっとした言葉の切れ端とかイメージの断片とか、主に目からと耳からの刺激のひっかかりがお話に膨らむことが多い。引っかからないな、と初めのうちは思っていたけれど、ほんのごくごく小さくて勘違いかなってくらいの反応も一応拾っておくと役に立つ。自分でも意識の上では気づかないような小さな小さなピンっときたひっかかり、それをメモ帳に書いておく。ちなみにメモ帳に書くのは映画『チック・チック・ブーン!』の影響だ。それまではその場でもう少し大きな塊になるまでイメージして記憶するようにしてたから効率が悪かったしアイデアもすぐ忘れてた。メモは良い。メモを取れ。

このピンっとくる小さなもののことがよく分からないひとは、iphoneなんかで歩きながら写真を撮ってはどうだろう。変な形の雲とか、なんとなく気になる色合いの葉っぱ、人混みの中を自分だけの確実なスピードでのしのし進んでいく知らないおばあちゃんの背中(肖像権には注意してね)なぜか道路の真ん中に落ちている靴べら、山積みにされて半額シールの貼られた「高級桃」。面白かったり、ちょっとさびしかったり、そういうんじゃないけどなんか妙に気になったり。心の琴線に触れるなんてところまでいかなくていいから、ただ自分のアンテナの感度を上げるトレーニングのように写真で記録していく。これは別にパッケージや雑誌のスクラップでも生活音の収集でもなんでもいい。わたしは視覚的な人間だしいつもiphoneを握っているからそれがいちばん手軽かなって思っているだけで。

段々、勘が良くなっていく。これはなにかメモっといたほうがいい気がするなという感じがする。その感じに従って、なんのことかわからない言葉やイメージの断片をメモしておく。すると後日にでもまたそのページを開いたときに、イメージが少し膨らむ。どういうことなんだろうこれは、なんだかこういう映像が浮かんでくるよな、などなど。あれだ、心理学のロールシャッハテストみたい。一切なにも見えないなんてことはない。ただまだそのときじゃないときは無理して膨らませずに少し置いておくのもいいかも。いつかもっと後日に別のメモの一文と手を結んできたりするから。

わたしがメモしている言葉から膨らませたもののなかで一番わかりやすいのはお布団の中でメソメソしながら聴いていた曲の歌詞「It's just a bad day, not a bad life」ただ良くない日ってだけで、ダメな人生ってわけじゃないという意味なんだけど、これがこの前書いた『フルーツ』になった。『フルーツ』の中ではそれをむしろ「言わない」形になったんだけど。まあ読んでないなら読んで(宣伝)ちなみにこれは初めて明確にレズビアンカップルとして書いたんだけど、いつもロマンスを書くときはできるだけ性別を特定する言葉を排除するようにしている。もちろん物語の構成上、そのキャラクターの性別の開示が必要なこともあるけれど、なくて済みそうなときは書かない。彼はとか、彼女はとか、俺とか僕とか、スカートとか口紅とか、そういった性別がすぐに予想できる言葉たちはそのキャラクターの人となりを伝えてくれる便利な情報なんだけど、同時につい口籠るとか、目をみて話せないとか、いつも同じ色のシャツを着るとか、髪を半年に一度しか切らないから散髪の翌日は見た目が激変するとか、料理が好きなのにトーストも失敗するとか、そういったこともその人の重要な部分で、わたしはそっちに興味があるからそれを書く。それにわたしが知らないだけでもしかしたらそのキャラクターは自分はノンバイナリーかもしれないと思ってる段階にいたりするかもしれないし。

まだ全然役立ってないメモもある。わたしは大の『クリミナル・マインド(の初期キャラクターのジェイソン・ギデオン)』のファンなんだけど、ギデオンが「finding new ways to hurt each other is what we're good at. 」お互いを傷つける新しい方法を見つけるのが人間は得意だから、って言ってるのが妙に気になってメモしているんだけどまだあんまり広がってはいない。もしかしたら気になったのは言葉じゃなくてギデオンのほうだったのかもしれない。おおいにあり得る。

「本当に遅すぎたとき、人はどうするのか?」っていうメモもある。たぶん、何事も遅すぎることはないとかそういうよくある言葉に対して、でも本当に遅すぎたら?って思ったんじゃなかろうか。経緯は忘れてしまった。これはあるパートナー同士のサスペンスとして書きたいなと思って連想ゲームみたいにメモを膨らませている。まだ言葉上で「どんなことに遅れる?どういう意味の遅れ?」とか書いて行ってて、たぶんそのうち映像としてワンシーン浮かんでくると思う。

わたしはいつもだいたい映像になったものを書き起こす感じだけど、文章で考えて文章で膨らませてそのまま文章を書く人もいると思う。だからこれはあくまでわたしの感覚なんだけど、お話をつくることって左右の脳をものごとが行ったり来たりして協力しあって新しい(とはいえ材料はそこにあるものから違う組み合わせと調理によって)何かを生み出している行為じゃないかと思う。その過程に非言語のものを挟んでいないとわたしはなんとなく満足できない。普段から何気なく見て聴いていることやよく考えずに深層心理にしまわれているものまで参加してきてなにかが生まれてくる。だからすごく怖いし、不安だし、恥ずかしいものでもある。芸術行為のほとんどがそうだ。普段は隠れていて自分でも気づいてない差別意識だって意気揚々と混ざっていたりするし、どうしてこんなものが?と思う何かが出てきたりする。

それはvulnerable 傷つきやすさ・心のやわらかいところであると同時に力強さとか生命でもあるので、わたしはとても好きだしクセになるなと思っている。書くのも、読むのも、観るのも、聞くのも、演じるのも、踊るのも、歌うの…はちょっと苦手だけど、そういうの全部。

日常のなかでなんとなくピンっときたことを大事にしてほしい、ささやかでも、しょぼくても。それを3行でも400字でも1万字でもお話にしてほしい。東君平の『ひとくち童話』って誰でも知ってるのかな。あれはわたしのお話の原点だな。即興的で、はじまりがあっておわりがあるお話。やってみると、ちょっと恥ずかしくてでも楽しいから。ぜひやってみて。