toripiyotan

何回もおなじこと喋る

見知らぬ駅[ショートストーリー]

「ごめん、ちょっと」

そう囁かれて顔を見ると確かに青くなっている。

「一旦降りよか」

数分後に開いた電車のドアから途中下車すると、コウちゃんはそのまま目の前のベンチにどさりと腰を下ろした。わたしもその隣にそっと腰掛けて、コウちゃんのカバンと自分のをまとめて膝にかかえる。同じ電車から降りた人々はみんな改札へ向けてぞろぞろと立ち去り、電車はドアを閉めてキュウウウと線路を擦りながら走っていった。ホームにはわたしとコウちゃんとがらんどうの空間だけが残る。

心配しすぎてもいけない。わたしにできることはなにもないのだから。それでも不安さややるせなさを感じないことは難しい。こっそりと隣を盗み見るとコウちゃんはこめかみを押さえて目を閉じていた。もしもいきなり嘔吐しそうになっても大丈夫なようにわたしのカバンにはビニール袋とティッシュが入れてあるし、それはコウちゃんも同じだろう。けれど今日のところはそこまで酷くはない様子でわたしはこっそり安堵する。

次の電車が風と共にホームに押し入ってきた。ドアが開き、また人々がぞろぞろと吐き出される。この駅は乗る人よりも降りる人が多い。会社員風の人たち、大人で、頼りになりそうな、普通の人たち。

「あの、大丈夫ですか」

見知らぬスーツ姿の男性がコウちゃんではなくわたしに声をかける。コウちゃんはわたしの身体の影で深くうつむいたままでいる。わたしはスーツの人に代わりに答える。

「はい、ちょっと具合悪くなっちゃったみたいで。大丈夫です」

スーツの人がわたしたちの占領しているベンチの隣の自動販売機で水のボトルを買って手渡してくれる。「よかったらどうぞ」とだけ言い、ほかの人々と同じ方向に吸い込まれていった。わたしは少しその背中を見送ってからコウちゃんに冷たい水のボトルを手渡す。

「もらったよ」

コウちゃんは無言で受け取って頭に押し当てて呻いた。電車も人もいなくなったホームはあまりに広々としていて静かだ。

「ああいうの良かよね」

わたしのつぶやきに、眉間に深い盾皺を刻んだ顔で睨みつけるように下からコウちゃんが「浮気?」と凄味のある声で言った。嫉妬ではなく頭痛の波の中から声を出しているので恐ろしく聞こえるだけだ。

「あぁやって知らん人に親切なこととか物とか差し出してさ、そんでサクッと立ち去る的なん。かっこよかやん?」

「やっぱり浮気か。最低だお前は」

水のボトルをぐいと押しつけられたのでキャップを開けて返してやる。わたしはポケットを探って鎮痛薬の残りを出す。

「飲む?」

「自分でも持っとるけど」

そう言いつつもコウちゃんは素直にわたしが手渡した薬を2錠口に入れて水で流し込んだ。それからまた目を閉じて、ボトルをこめかみに当てる。

また電車が入ってきた。そして出ていった。また来て、また出た。わたしたちのベンチは取り残された小島みたいに無視され避けられながらじっと沈黙している。周囲を人々が右から左へ左から右へ扉から改札へ改札から扉へ、濁流のように流れていく。わたしたちだけが時を止められたように静かに佇んでいる。その間にはがらんどうの静けさが来て、雀たちの忙しそうなさえずりがやけに響く。

どのくらいそうしてぼんやりしていたか分からない。そろそろどうだろうかと、またこっそりコウちゃんのほうを盗み見ると、コウちゃんもわたしを見ていた。まだしかめ面をしているが顔色は戻っている。

「むっちゃん」

「ハイ」

こうちゃんにオイとかなぁとかではなく名前で呼ばれることは珍しいのでわたしは少し緊張した。快い緊張と不安の両方だ。

「ただ横におるだけって、すごいこととよ」

わたしの不甲斐ない気持ちをコウちゃんに気づかれていたことを恥ずかしく思った。苦しんでいるほうが支えるべきほうを慰めるなんて間違っている。それでもコウちゃんがそう言うならきっとそうなのだろう。わたしにできることなんて一言も漏らさず信じることだけだ。

「うん」

わたしはそっとコウちゃんの手を握った。コウちゃんもやさしくもにもにと握り返してくれた。

「この後どうしよか。なんか帰って近場でウロウロしてもいいっちゃn

「なん言いよるん?なんのために今日休み合わせたと思っとるん?次の回なら間に合うやろ?絶対4DXで観るって言うたよな?」

コウちゃんは先ほどまで頭痛の発作で死にかけていたとは思えない瞬発力でわたしの発言に被せて抗議して、ちょうど鳴り始めた次の電車のアナウンスに立ち上がると繋いだ手をぐいぐい引っ張ってすっかり根の生えたわたしの尻をベンチから引っぺがした。地面を熱心に突いて回っていた雀たちが一斉に飛び立ち、広々としたホームが電車の巨体を迎え入れた。ぷしゅうと開いた扉をくぐり入ると、またぷしゅうと言って扉は閉まり、ガタゴトとわたしたちを運び去っていった。