toripiyotan

何回もおなじこと喋る

熱病[ショートストーリー]

 湿った地面の上をずるずると引き摺られている感覚で私は目を覚ました。この二日ほどの記憶は薄い。部隊の仲間と散り散りになり私はひとりジャングルを彷徨っていた。水も食料も尽きておまけに身体中が痛み発熱しているのを感じていたのは覚えている。今は誰かが私の襟首を掴みどこかへ運んでいっているようだ。全身が湿っていて重く、泥や草にまみれている。ふと日が翳りどこか薄暗い室内に入ったようだった。私は乾いた木の床に放られた。骨の激痛に耐えのろのろと銃かナイフか、あるいはステンレスの水入れでも、何かしら武器になりそうなものを探ったが全て取り上げられているようだった。私を運搬してきた者が私に屈み込んだ。私は高熱で朦朧としており視界さえ白く狭まってグネグネと歪んでいた。その者は私のユニフォームを脱がせ肌着を捲り上げて頭から抜き取った。ズボンのベルトを外された時に私の脳裏に貞操の危機が掠め、残る気力の全てを集中させて身をよじりバタバタと抵抗したが汚れたブーツともどもまとめて呆気なく引き抜かれてしまった。私は戦慄した。自分の意識をひとつにまとめることさえ困難な状況で身ぐるみ剥がされ不安が急速に膨らんでいた。しかし私を裸にした者は私の両脇の下に腕を入れて持ち上げると粗末な寝台の上に引き上げて寝かせ薄いブランケットで首まですっぽりと包み込んだ。濡れた布巾のようなもので顔の乾いた泥を拭い取られながらそのひんやりとした心地よさで私は僅かに体の緊張を解き、そのせいで再び無意識の暗闇の中へ落ちて行った。

 

 背中の激痛で目を覚ました。私は簡素な小屋の中に寝かされていて高熱は続いており全身のあらゆる関節がキイキイと悲鳴をあげていた。私のそばに私を引きずってここまで連れてきたのであろう人物が近づいてきた。仰向けの私の肩の下に腕を入れて頭を起こすと植物の茎を切ったようなものを私の口に近づけた。それは新鮮な水だった。私は滴って来る水を啜り飲んだ。「ありがとう」私は彼を見た。肌は緑がかった砂色をしていて髪はなく大きな瞳の虹彩はヘーゼルよりもゴールドがかった色をしていた。この土地の種族だった。彼は私を再び横たえた。「あんたはどっち側だ?」私は掠れた声で尋ねた。自分が内側から死にかけているというのにおかしな質問をしている気がした。介抱されている以上、敵であるはずはない。私は自分の愚かさに笑おうとした。骨の痛みがそれを許さなかった。

 

 私は時間の感覚を失っていた。目が覚めるたび朝の白い光であり、深夜の月明かりであり、茜色の夕刻であり、蒸し暑い午後だった。私はしばしば呻き、のたうち、嘔吐した。私の看護者は私にどろりとした緑色の液体を飲むように差し出した。それはきつい青臭さと苦みでとてもではないが口に出来たものではなかった。私は子供のように顔を背けたが、彼は細い腕で私の頭を背後からがっしりと抱え込み、ふたくちほど無理やり流し込んだ。火照った背中に彼のひんやりとした体が密着していて心地よかった。私は無理にその液状のものを飲み込んだ。毒ではないだろうがとにかく不味かった。私は吐き気が増すかと思ったが、日に二度飲まされるその緑色のヘドロのようなものは意外なほど私の病状を改善させた。

 

 骨の痛みが和らいだ。何日になるのかは分からないが、熱でまともに起き上がれないだけで、身体中が破裂しそうな激痛から次第に解放されていった。私はようやく自分と自分の置かれた状況を観察するだけの余裕を取り戻し始めた。その日に目を開けた時はまだ日が出たばかりの薄明い時間で、看護人はゴリゴリと臼と杵で何かの葉をすり潰していた。狭い小屋の唯一の灯りである出入り口のそばであぐらをかき、蚊帳のこちら側で私には横顔しか見えない。この土地の住民に特有のとかげを思わせる風貌だが彼には頬に大きな赤い痣があった。彼は私よりも小柄でほっそりとしているがその砂色の体が私の筋肉の盛り上がった褐色の巨体よりもよほど力を秘めていることはこの数日で嫌になるほどわかっていた。彼らの遺伝的なものなのかもしれないし、彼自身の鍛錬によるものなのかもしれない。私はごりごりとすり潰されていく葉の砕ける音を聴きながらまどろみの中へ戻っていった。

 

 彼は私に粥のようなものを食べさせた。痛みは去ったものの熱はしぶとく残り、まともに匙も握れない私は彼の差し出す匙から雛鳥のように給餌を受けた。何日も食べていない胃にほんのりと甘い液体の食事はありがたかった。彼は無口で我慢強い看護者だった。しかし同時に容赦もなかった。ある時、彼は私の包まっているブランケットを剥ぎ取り、逃げようとする私の体の汗と垢をごしごしと手ぬぐいで拭き取り、ひんやりとした薄荷のような匂いのするものを大きな手のひらで全身に塗り込んでいった。私には抵抗する権利はなく、またしたたか心地よいものでもあったため、ブランケットを戻される頃には従順になされるがままになっていた。彼は私の知る限りほとんどずっと小屋で過ごしていた。私の看護をする以外にも様々な手作業を持ち込んでいた。乾いたイネ科の植物の茎らしきものを捌いてまとめたり、靴の破れを繕ったり、最も多かったのは澱粉を練ったり穀物脱穀するなど食に関する作業だった。彼は上半身は素肌のまま白い布の簡素なズボンを履いているだけだったので私はジャングルの中の小さな集落で生活する農民の一人なのだろうと検討をつけていた。蒸し暑く、飛び回る虫たちは不快で、ジャングルの濃緑は目に痛いが、彼のそばは心地よく私はしばし戦場にいることを忘れ永遠に留まることができれば良いと思うようになった。

 

 この土地は数年前から内戦状態に置かれている。ひとつの種族がそれぞれ異なる文化的習慣を持ち、民族集団に分かれ、南部は王族による王政を支持し、北部では共和政の自治区が立ち上がり国家としての統一を図っている。どちらもそのあり方を譲ることはなく、かねてより王族との同盟関係にあった私の星からも兵士が派遣され、私は共和政国家の樹立を目指すゲリラ軍をひとりでも多く殺害するためこのジャングルに送り込まれている。私は政治家ではないのでそれ以上のことは知らず、知っているべきことは敵と見なす存在の撃ち方と生き残り方だけである。それでもしばしば考えざるを得ない。私は何のために他の土地に来て、慣れない気候に汗を流し、何の恨みもない他の種族を殺戮するのかと。

 

 私が匙を握れるようになると、彼は徐々に固形物を与えるようになった。小さな果物が渡された時には歓喜した。咀嚼することに自分がどれほど飢えていたのかその時初めて気づいた。彼は私の様子を注意深く見ていた。私が嘔吐も下痢もしないと分かると、粥から野菜の香辛料煮やヤシの澱粉のようなものへと変化した。緑色のどろどろとした液体も飲まされなくなった。私は体力をすっかり失ってはいたものの高熱の前後不覚な状態からは回復しかけていた。

 

 汗ばむ午睡から目を覚ますと、彼は戸口に寄りかかりタバコを巻いていた。屈み込んで指先に神経を集中させ、乾燥した葉を小さな薄い紙の中にきっちりと巻き込んでいる。やがて端をちろりと舌で舐めて張り合わせるとマッチで火をつけ深く吸い込んで吐き出した。私のこれまで嗅いだことのない煙の匂いが濡れた土の香りと混ざりあっていた。私は半身を起こして彼を見つめた。引き締まった上半身は光のコントラストの中で美しかった。「一服くれるか」私は尋ねた。彼は振り向いたが彼と私の間に共通する言語があるとは思えなかったので身振りで示した。彼はのしのしと私の寝台まで大股で歩いて来ると、自分の指に挟んだタバコを私の唇に当てた。大きく吸い込むと、重く甘い味が肺を焦がした。私はしばし咳き込んだ。煙草の葉ではない、なにかこの土地特有の植物を巻いているに違いない。膝をついた彼を見上げると、片方の口の端をちらりと歪めていた。初めて見る彼の微笑みだった。彼は夕方の赤い日で黄金に輝く大きな瞳で私を見つめたまま自分でももう一息タバコを吸い込んだ。「美味いな」私は彼と目を合わせたまま呟いた。「もう少しくれ」彼の手を引き寄せて、私は彼の指先をもう一度私の唇に当てた。

 

 私の体にしぶとく残っていた熱っぽさが去ったと同時に彼は小屋へ訪れなくなった。これまで私の目の覚めている時に彼の姿がなかったことがないので不思議に思ったが、半日経っても彼は現れず、代わりに小屋の隅の暗がりに私のすっかり忘れていた所有物が置かれていた。肌着やユニフォームは洗われて泥汚れを落とされていた。ナイフも、銃も、その他の携帯品もそのままにあった。水入れには新しい水が詰められていた。そのメッセージの伝えるところは明らかだった。私はいよいよオアシスを出て現実に戻る時が来たのだと思った。私は服を着てヘルメットを被り銃を背負った。出て行けと背を押されているかのように気の進まないまま外に足を踏み出した。しかし何日も留まり介抱されたにも関わらず黙って立ち去るのは気が引けた。いやそれは言い訳に過ぎず、なにか自分のいた痕跡と出ていくことを惜しむ気持ちを彼に残したかった。書き置きをするような紙も、ましてや言葉も持ち合わせていなかった。私は胸ポケットに安物の紙巻きタバコを入れていたのを思い出した。開けたばかりのまだ新しいそれを一箱、蚊帳の内側に置いてジャングルの中へと入っていった。

 

 自分がどこにいるのかも分からないところから一昼夜彷徨っただけで別の部隊に合流できたことは奇跡としか言いようがなかった。私は自分の部隊がゲリラ兵の銃撃を受けて散り散りになり、地元民に助けられたことを淡々と報告した。私は再編され新たな部隊に吸収された。味方の多くが深い森の中で迷い待ち伏せに遭い数を減らしていた。私は再び戦闘と殺戮の只中へと戻ることになった。

 

 その朝は珍しく気温が下がったものの湿った地面や川の温度は高く霧が出ていた。深く暗い緑が重なり合うジャングルに数百メートル先の見通しも立たないような白いヴェールが立ち込め、私たちは途方に暮れた。ひとまず予定通り私のいる部隊は周囲の偵察へと送り込まれたが、苔が足音を吸い込み、鳥の声はしなかった。唐突に風が鳴り、私の隣の兵士が倒れた。伏せろと誰かが叫んだ。私はじめついた地面に身を屈め、発砲音のする方にライフルを向けて照準を合わせた。北側の兵士たちが数人、こちらに向けて銃を構えていた。顔を見ただけではみな同じようなトカゲに似た砂色の肌をしていて見分けがつかないが、南側の国軍のように揃いの制服ではなく、それぞれが森にまぎれるような黒や深緑の衣服を身につけていた。そのうちのひとりが、私にピッタリと銃口を向けていた。私は思わずライフルから顔を離して身を起こした。その人物には片頬に赤い痣があった。私は目を凝らした。もう二度と会えないかと思っていた。私は場に不似合いな喜びが胸に広がるのを感じ微笑んだ。彼の銃から放たれた銃弾は私のヘルメットを吹き飛ばし、私はぬかるむ地面に仰向けに倒れこんだ。