パクチー観察日記ファーストシーズン
パクチーの種をまいた。
いや、待ってくれ。もう少し手前から始めよう。
「いつも作ってるスープ、トルコの豆スープに似ているね。トルコの豆スープおいしいよ。それにパクチーをたっぷり乗せるとさらに美味しい」と、友人が言った。友人というのはもちろん(もちろん)ツイッターの友人だ。ここでいうトルコの豆スープとはメルジメッキ・チョルバス。レンズ豆とにんじん、玉ねぎなどを煮込み、ブレンダーでガーッととろとろにしたりザルでこしたりしてクリーミーにした伝統的かつ一般的なスープのことだ。二度ほど見様見真似で作ってみたのだがとても美味しかった。じゃがいもも入れてみたり、トマト缶も追加してみたり、レモンを絞ったりと、色々なアレンジができる。そのスープの上にパクチーをたっぷり乗せると言うのだ。
わたしはパクチーを食べたことがない。あの一世を風靡した大流行時にでさえ、パクチーと邂逅しなかった。世間ではくさいだのキツいだのカメムシ臭だのむしろそれがクセになるだのと意見が両極に分かれるパクチー。恐ろしいがしかし食べてみたい。どんなものなのか。
しかし完全にブームの去ったいま、あちこち巡ってみても田舎のスーパーにパクチーなど置いていない。いや季節が悪かっただけかもしれないが、スパイスコーナーに乾燥したものしか置いてなかった。違う、それではないのだ。フレッシュでいてほしい。
すっかり手詰まりになったものの、そうであればあるほどパクチーへの執着は強まる。あぁパクチー、必ずやお前をこの口に含んでみせる。
そう、成長したものが手に入らないのなら、幼いところから育て上げればいいのだ。
だが手塩にかけて育てあげて、成長してみたらカメムシだったなんてことになっては悲しい。いやパクチーはパクチーだがわたしにとっての、という意味だ。けしてこの時点でパクチーを罵っているわけではないので、愛好家はもう少しその拳を収めておいてください。
自分がパクチーを育て上げて食べられるかどうかを確認するため、既製品で実験してみることにした。それに選んだのがこれ。
カルディで買った。
これが食べられればとりあえずパクチーが嫌いだということはないだろう。ちなみにこのインスタントパクチーラーメン、食べてみたのだが味をよく覚えていない。なんだか独特の香味があって、普通だなと完食した気がする。きっと嫌いじゃないのだろう。
自信をつけたわたしはホームセンターに行ってパクチーの苗を探した。しかしこれまたブームが去った上に野菜やハーブの苗が少ない季節、なにも手にできずフラストレーションが募った。ここで二軒目の園芸店でふとアイデアが浮かぶ。そうだ、苗がないなら種から行こう、と。
そうしてようやく、冒頭に戻る。わたしは、パクチーの種をまいた。
間違ってるじゃないかと心配しないでほしい。コリアンダーはパクチーのこと。中華圏ではシャンツァイになる。どれもみんなパクチーのエイリアスだ。
種まきから11日目、待ちに待った芽が出てきた。
なんて愛おしいのだろう。懸命に重たい土から顔を出そうとしている。ずっと見つめてしまう。見つめていると自然ドキュメンタリーの100倍速で植物が成長するシーンを思い浮かべてしまう。しゅるるるるるるるるるるるるるるるると伸びてほしい。頑張れよ幼な子。
種まきから18日目。
ずいぶん双葉がでた。小さく小さく本葉が見えているものもいる。双葉と本葉でこんなに姿が違うのか、知らなかった。しかしずいぶん偏って出てきたなと、やっぱり適当にざらざらざら〜っと蒔くのでは良くなかったと、そっと引っこ抜いて空いているスペースに移植してみるなどした。この行為をわたしはのちに激しく後悔する。
種まきから22日目。
瀕死。
えっっっなんで……?でもそういえば2日くらいすごく乾燥してて日当たりポカポカなのに水やりを忘れて…いたような…気がする……
種まきから25日目。
わずかに活力を取り戻したものたち。安心した。全滅したかと思った。弱々しい双葉の時点で移植したものをはじめとして多くの双葉を失ってしまった。種まきしたら発芽しても触らない。水は常に与え続ける、乾燥が不安なら外より日のよく当たる窓辺の方が良い。わたしは今後のために心の学習帳に強い筆圧で書き留めた。
種まきから27日目。
ご覧いただけるだろうか!なんとまだ出ていない種が残っていたのか!新たな命に感動するとともに、一体どれだけザバザバとこんなちっさいプランターに蒔いたんだ自分?と心配。
種まきから1ヶ月の本日。
ふさふさふさふさ。タネの帽子を被ったままの双葉たちや、これから出ようとしているものもいる。でもまだ触らないぞ!
〜To Be Continued〜セカンドシーズンに続く〜