toripiyotan

何回もおなじこと喋る

追う者たち[ショートストーリー]

(注意:差別的および暴力的な言葉の表現があります)

 

 

浅いまどろみの中にいたシグをイゴーが揺り起した。

「見ろ」

シグはイゴーの視線の先に目を向けた。そこには見たことのない巨大な生き物の腹があった。

シグはコンソールの上に身を乗り出し、フロントガラスに顔を近づけてそれを見た。全長1kmはあろうかという巨大なそれは銀色に輝く腹をこちらに向け、推進のために躍動するたび紫や緑に色を変えながら輝いている。

「まるで動くネビュラだな」

シグが感嘆して言うと、イゴーは鼻を鳴らして返事をした。シグは気にせず感想を重ねた。

「あれが例の鯨か?はじめて見たよ」

「凶兆さ」

「故郷のオーロラにも似ている。あれはプラズマの発光だけど……これは生きているのか?」

好奇心をむき出しにガラスに張り付くシグとは対照的にイゴーは苦々しくそれを睨んでいる。

「だれにもわかるもんか。どうやってあのでかいやつを捕まえて腹を裂く?それに、おれたちの目当てはあいつじゃない」

シグはようやくシートに体を戻してセンサーをオンにして周辺に異常がないか確認した。

ごく単純なソナーのような装置だ。何かが通れば画面に現れる。

「当たりだ」

イゴーがにやりとした。

小さな凧のような宇宙船が、すぐそばの惑星へ下降していった。

 

『スプルクス』と人々が呼ぶ宇宙人を追う民間のハンティング企業に入り、シグは今回が初めての任務だった。イゴーは大ベテランだがそれでもそれらを見つけるのに2ヶ月かかった。イゴーは鯨とスプルクスの不思議な関係を長年の勘で知っていた。といっても、鯨が通れば奴らが通る、という程度のものだが。

人類によるスプルクスの「発見」は30年ほど前であり、いまだその生態はほとんどが謎につつまれている。シグたちの仕事はスプルクスの生捕り、もしくは死骸の回収であり、会社の仕事はそれを研究所に売ることである。もちろん生きていればそのぶん価値が上がる。しかしイゴーは頑ななほど殺害にこだわっていた。

「あいつらは侵略者だ」

長い長い追跡の退屈さの中である日イゴーが言った。それは狭い宇宙船に閉じ込められ孤独に飛び回る間、自らに何度も言い聞かせていたと容易にわかるほど滑らかで確信に満ちた口調だった。

「あいつらはひとの土地に降り立つ。取れるものを取って荒らし回り、気が済んだら次の星に行く。それを延々繰り返すのさ。土地も人も食い物も女もみんなあいつらが奪っていく。おれはそんなやつを野放しにしておくわけにはいかない」

シグは黙って聞いていた。そういうものなのか、と思った。

 

凧の後を追ってイゴーは船を惑星へ向けた。気づかれないように近付くためスプルクスの着陸地点から500kmほど離れた砂地へ降り立つと、ふたりは手早く必携品をバックパックに詰めた。数日は野営をすることになるだろうと踏んで水と携帯食を多めに入れていく。シグは捕獲のための準備を確認した。イゴーは殺傷用の武器ばかり担いだ。空気は吸えなくはないが万が一に備えてふたりとも濾過のためのマスクをしゴーグルをはめた。船の貨物庫からクアッドバイクを引き出すと、それぞれ自分の荷物と共に跨って目的地へと走り出した。

 

明るく、乾燥していて、快適な星だった。シグとイゴーは東のうっすらと緑がぼやけて見える地平線へ向けてでこぼこの砂地に四輪を取られながら進んでいた。目の前を四本脚の生き物が集団で横切って行った。シグはガゼルに似ていると思った。途中で2度休憩を取ったがふたりともあまり会話はしなかった。暗くなる前に詰められるだけ距離を詰めたかったので黙々と走った。どこまでも広く平坦な砂地が広がっていた。右にも左にもただ地平線があるだけで、前方の緑のモヤさえ現実のものかどうか不安になるほど遠い。奇妙な宇宙人を追いかけているという仕事さえなければ美しいと言っただろうな、とシグは思った。ごみごみと人がひしめき、土地の多くが汚染されている故郷から見れば、文明の気配のない、爽やかで広々としたこの星は間違いなく美しいだろう。大地の大きな背の上で清らかな孤独を感じられるというのは贅沢なことだ。シグはあやういところでハンドルを切り岩を避けた。イゴーがチラリと目を向けた。シグは物思いを振り払いスピードを上げた。

 

「今日はここまでだな」

イゴーがクアッドバイクから降りてバックパックを下ろした。シグもそれに倣い、ゴーグルを外す。シグのくるくると巻いた黒い髪は今では砂が絡みこんでいた。急速に暮れた日の残りを頼りにランプを取り出して灯すと周囲がぽっとオレンジ色になりその光の届かない場所を一段と暗くした。ふたりはそれぞれ冷たい携行食の封をあけてフォークを突っ込み、無言のまま咀嚼した。どのような生き物がいるか分からない場所で火を熾すことは躊躇われた。食事が済むとイゴーはステンレスのフラスコを取り出して大きくふたくち飲み、シグにも勧めた。シグはほんの少しだけ口に含んだ。強くて煙のようなきつい風味のする酒だった。シグは無理やり飲み込み、むせながらフラスコを返した。イゴーはにやにやとしていた。

「シグ、お前はなんでこんなことに足をつっこんだ?」

イゴーの唐突な問いにシグは驚いた。すこし考えて答えた。

「貧困。他に理由がいる?」

イゴーは笑った。体格に似合った大柄な笑い方だった。

「あぁ、そうだな。まちがいねぇ。生き残るには故郷で犯罪者になるか、宇宙で宇宙人を殺すかのどっちかだ」

盛り上がった肩をいつまでも揺らして笑っているイゴーに、シグは問い返した。

「あんたはどうしてこんな仕事をしている?」

シグはこの2ヶ月間一度も尋ねなかったことを口に出した。それまで疑問に思わなかったことも、今どうしても聞いてみたいと感じていることも、どちらも不思議だった。

「おれの親父は軍人だった。じいさんも軍人だった。おれもそうなるつもりだった。なぁ、スプルクスの発見のときのことは覚えているか?」

「いや、まだ生まれていなかった」

イゴーは頷いた。

「あのときはすごい騒ぎだった。おれたちの中に宇宙人がまぎれこんでいたんだからな。連日ニュースはその話で持ちきりだった。おれは15だった。すでに国のために命をかけて戦うつもりだった。それなのに宇宙からの侵略者はすでにすぐそこにいたんだ。絶望したよ。そんなやつらから家族を守れるのか?他国との戦争にあくせくしてる隙におれたちの庭先やベッドにあいつらが潜り込んでてなにが軍人だ」

シグはじっと耳を傾けていた。イゴーは声を荒げなかったが一言一言に強い憎しみを込めて発した。ランプに向かって飛んでくる羽虫の立てる音のほかはまったくの静寂だった。しばらくしてイゴーはランプの光を小さくして言った。

「おれが先に見張りをする。お前はもう寝ろ」

シグは頷くと排泄のために光の届かない岩陰まで歩いていき、用を足して戻ってくると自分の寝袋を広げて潜り込んだ。地面はまだ昼間の熱をもっていてじんわり温かかった。

「ほら、冷えてくるからこれもかけとけ」

イゴーに手渡された毛布を寝袋の中に引き入れて体に巻きつけると、シグはすぐに眠りに落ちた。

 

空が明るくなり始めると、シグが起こすよりも早くイゴーは寝袋から這い出してきた。

夜の間に冷え切った地面に座り切りつけるような空気のなかで温かいものを口にできないのはつらかったが、シグもイゴーも固形の携帯食料を噛み砕いて水で流し込むとすぐに出発の準備に取り掛かった。

日暮れ前には追いつく予定だったのでふたりはそれぞれのバックパックの中身も詰め替えた。野営の道具を下へ、武器や捕獲機材を手に取りやすい場所へ。食料と水の残量を確認し背負いあげると、クアッドバイクのエンジンをかけて再び東へ走りだした。

 

昨日とは景色が変わり始めた。地面の起伏が増し、岩がごろごろと前方を塞ぐようになり、シグとイゴーはしばしば迂回を余儀なくされた。生き物の気配も増えた。小型の爬虫類のような、岩陰を好む生き物が潜んでいるのが目の端をかすめる。そして植物も、そこかしこで乾燥した砂地にしがみついていた。そのいびつで水に貪欲な植物のそばには、昆虫のような小さな生き物たちが集まっている。生き延びるための行動というのはどの星のどの生き物でも変わらないのだなとシグは思った。

 

その日の最初の休憩をとろうとイゴーが言ったとき、遠くに木陰が見えた。近づくとそれは背の低いねじれた樹木植物だった。豊かに広がった枝葉にはイゴーの手のひらならふたつはおさまるくらいのこじんまりとした実がたわわに実っていた。携帯型の成分センサーを挿しても毒性はなさそうだったので彼らはそれを昼食に食べることにした。りんごとすももの間のような感じで酸味が強かった。強い日差しと乾燥に晒されて走ってきた体に染みた。風にさらさらと鳴る木陰は天国のようで穏やかだった。熟れすぎて落ちた実に寄ってきた小さな羽虫たちがぶんぶん言っていた。

シグはイゴーに尋ねた。

「昨日、スプルクスの発見時は人間に紛れていたと言っただろ。公開されているスプルクスの研究レポートにもそういうことが書いてあった。彼らは姿を変えると。今回のやつもすでに違う姿になっていることはないかな?」

「おれがこれまで追い詰めたやつらはみんな袋詰めの水銀みたいな姿をしてたな。おれはそんなレポートなんか見ちゃいねえし知りたくもねえが、やつらが姿を変えるっていうのは本当だ。それも出来損ないみたいな中途半端な変わり方をする。よほど工夫して隠してない限り、見分けられないことなんかねぇよ」

イゴーは垂れた汁に悪態をついて舐めとった。シグは実をいくつか余分に採って布に包みバックパックに入れた。

 

スプルクスの船が着陸した地点はまだ15kmほど先だったが、ふたりはクアッドバイクを停めてそこから先は歩くことにした。小回りがきかずエンジン音のうるさいバイクは邪魔になるだけだ。バックパックもそこに置き、必要な武器と水だけを身につけて、今ではほとんど身の丈をこえるほどの巨石や樹木だらけの中を分け入り進んだ。木々のおかげで日が遮られ涼しく快適だったが、ブーツの底がしばしば岩場で滑った。マスクの下で息を荒げながら、なんとか歩き続けた。シグは中年をこえているはずのイゴーの敏捷さをうらやんだ。ごつごつとした風景のなかでイゴーはまるでそこで生きてきた山男のようだった。シグは必死でイゴーの巨大な背中を追った。

 

岩場を抜けると湿度が上がった。昨日までの砂だらけの荒地が嘘のように、目の前にはぬかるんだ湿地が広がっていた。オレンジや黄色の藻類が鮮やかに繁栄している。防水とはいえそこにブーツを踏み入れることにシグは躊躇した。幸い、水の浅い部分を歩くことができた。

「止まれ」

イゴーの注意に足を止め耳を澄ますがシグの耳には何も聞こえない。しかし音ではなかった。イゴーが指さした場所に目を凝らすと、なにかの足跡のようなものが点々と続いている。

「やつらかな?」

「おそらくな」

イゴーは遠くまで周囲を見回し、その足跡を追ってゆっくりと進んだ。シグはできるだけ足音を殺しながら後に従った。緊張が高まっていた。シグにとってははじめての生のスプルクスとの遭遇となる。どのような姿をしていて、どのような声を出して、どのように動くのか。また初めての任務で実績をあげることができるかもしれない期待も膨らんでいた。イゴーは本当に殺すつもりだろうか。シグは捕まえたかった。

 

足元のぬかるみが固くなり、木々と岩がまだらにごろごろとした場所に辿り着くころ、イゴーが前方を向いたまま背後のシグに拳を上げて止まるよう合図をした。今度はシグにもわかった。前方50mほどの木の影につるつるとした鉛色の生き物が屈んでいるのが見えた。

「スプルクス……」

シグは感嘆の溜息をもらした。思っていたより小さく、無毛で、二足歩行だがチンパンジーのように両腕に当たる部分が長い。裸の体はぬるりとしていて人間のような生殖器による凹凸がない。いやそういうスーツのようなものを纏っているのかもしれないがそれはシグにはわからなかった。

イゴーが担いでいた狙撃向きの大型の銃を地面に下ろし組み立て始めた。

「おれが仕留める」

有無を言わせぬ圧があったのでシグは頷いた。

スプルクスはふたりいた。少し大きいほうと小さいほう。どちらも見た目にはほとんど同じに見えた。彼らがイゴーに気づいている様子はなかった。ただ地面の植物を指差してはなにかを言い合ったり、木の皮をむしったりしていた。イゴーは銃を抱えて狙いやすい場所に移動して行った。シグも後に続いた。

 

距離を詰め、岩陰に身をひそめ、イゴーは宇宙人たちに銃口を向けた。しかし引き金がしぼられるより先に鉛色の顔がはっとこちらを見た。木立の深い方へ走り出した。イゴーは悪態をつき、短銃に持ち替えると後を追って森のほうへ追って走った。

「待て!とまれ!このクソ野郎!」

木や岩に隠れながら逃げてはいるが、スプルクスたちはあまり速くは走れないらしい。加えて彼らに不運なことにすぐに開けた砂地に出てしまった。5mほどの距離をあけてスプルクスとイゴーは向き合った。シグも追いついたが、どうしたらいいのか分からない。イゴーは顔を真っ赤にして唾を飛ばし叫んでいる。

「逃げやがってクソの侵略者どもが!跪け!ほかの仲間は!おい跪けって言ってんだ!」

スプルクスはガタガタと震えていた。大きいほうが小さいほうの体に腕をまわし自分の後ろに守るように隠している。小さいほうはツバメの雛の鳴き声のような悲鳴を上げ続けた。ふたりともシグの目には死を予感して恐怖し怯えているように見えた。巨大な瞳は透明なすみれのような色だった。

 

一瞬の間にすべてのことが起きた。

急に昼が夜になった。イゴーは大きいほうのスプルクスに引き金を引いた。狙いは外れた。シグは自分の鎮静用の銃を撃った。それはイゴーを狙い、当たった。イゴーは地面に倒れた。

 

シグは呆然と、動かなくなったイゴーを見下ろしていた。スプルクスたちはシグを見ていた。シグが銃を構えたままでいたので、どうなるのか様子を見ていた。周囲は暗闇だった。

か細い音が聞こえ始めた。小さいスプルクスが真っ暗な空を向いて音楽のように節のついた音を発していた。

「なんだ?なにをしている?」

シグは銃口を宇宙人たちに向けて尋ねた。大きいほうのスプルクスがなにか声を発したがシグには意味がわからなかった。ふいにジャケットの胸ポケットに入れていた翻訳機のことを思い出した。イゴーは出港してすぐに放り捨てたが、スプルクスの現在までの言語研究の結果は反映されているはずだった。不十分でも無いよりはマシだろうと電源を入れた。

『……祈っている……鯨……神……導く……』

間には不明瞭な雑音がしばしば挟まった。銃を向けられ、更に翻訳機を突きつけられ何度も話すよう身振りで命じられたスプルクスたちは哀れなほど身を縮めていた。シグはようやく成立したコミュニケーションに雷で打たれたような快さが走るのを感じた。

「鯨?鯨が通っているのか?あれもお前たちの仲間なのか?」

『……鯨……夜にする……わたしたち……追うだけ……』

「そうして行く先々を侵略するんだろう?イゴーの言う通りだ、お前たちは略奪者のクソッタレだ」

『……暮らすだけ……故郷……無くなった……汚染……わたしたち……生き延びたい……』

シグはそのあまりの凡庸さに力が抜けそうになった。ここまで追ってきたモンスターは攻撃する意思もなくただ震えながらふたりで小さくかたまり、信仰と暮らしの話しかしていない。もちろん嘘の可能性もあるが、少なくとも2対1にも関わらず心底怯えていた。

「それならどうしてあちこちに現れる?適当な星に移住しない?侵略してまわっているんじゃないのか」

『……姿……変わってしまう……ほかの星……わたしたちでいられなくなる……こわい……』

シグにはもう、スプルクスを殺す気も捕らえる気も残っていなかった。自分のなかが空っぽになったと思った。シグは銃を地面に置き、数歩後ろに下がると宇宙人たちの顔を見つめたまま翻訳機に向けて囁いた。

「行ってくれ」

スプルクスたちはじっとしたまま見つめ返した。闇の中でも巨大な瞳は光っていた。

「危害は加えない」

シグは翻訳機も地面に置いた。両手を上げて敵意のないことを伝えようとした。人間のジェスチャーが他の知的生物にも伝わるといいがと思った。

スプルクスたちは踵を返すと走り出した。5分ほどしたころ、鯨が遮っていた陽が再び差し始め、昼が昼に戻った。遠くで凧のような宇宙船が飛び立っていった。

 

シグは自分の鎮静用の銃と翻訳機を拾い上げて仕舞った。それから倒れているイゴーを揺り起した。

「なんだ、なにが起きた」

イゴーはぼんやりとした顔でシグに尋ねた。

「鯨だよ」

シグは肩をすくめた。

「それであの宇宙人どもは」

「逃げた」

イゴーは悪態をつき始めた。シグの腕を借りて立ち上がり歩き出すまでまだ罵っていた。

「あのクソッタレの略奪者の汚ねぇウジ虫野郎どもが!次こそ殺す!殺して死体に唾を吐いてやる!」

辿った道を戻り狙撃用の銃を解体しながらもイゴーはまだ顔を赤くしてスプルクスを呪っていた。

「イゴー、黙れ」

シグはイゴーを振り向いて言い、クワッドバイクを置いた岩場に向けて湿地に足を踏み入れた。