toripiyotan

何回もおなじこと喋る

本を作ろう!前編

いつもブログにあげているショートストーリーを紙で読みたいと言ってもらったので、薄い本の形にまとめる準備をしている。これ終わったらブログネタにできるぞ〜と思っていたのだけれど、おそらく完了したらもう無理……となってふりかえってまとめるとか絶対やらないから今のうちにやったところまでの行程を書いておく。わたししってるんだ、自分の性格。

 

1. 原稿を作ろう!

中身がないと始まらないのだけど、その文字のデータも印刷後には直せないことを考慮して十分チェックする必要がある。誤字脱字はもちろんのこと、数字の表記は漢数字もしくは算用数字で統一しているか?あいまいな認識で誤用している言葉はないか?改行は適切か?作文の規則は守っているか?など、細かいところまで校閲・校正する。辞書は二冊くらい使う。記者ハンドブックなどもあると便利。誰かに鼻で笑われる前に自分が一番厳しい読者として赤ペンをいれて修正していこう。ちなみに紙に出してチェックし、まとめてデータを修正するほうが良い。間違いを見つけやすくなる。

ここでわたしはひとつ後悔がある。pages(word)にテキストデータを保存していたのだけれど、最初から縦書きの本にすると決めていたにもかかわらずデータを横書きのまま作っていた。この時点で縦書きに変更しておけばのちのち楽だったと思う。なんでそこ横着したんだろう。

赤ペンで原稿に修正を入れている様子

 

2. 本のサイズを決めよう!

文字データができたら次は本をどんな形にするかの外観の決定をする。サイズとかよくわからない場合は本棚から気に入っている本を引き抜いてそれを定規で測ればいい。わたしは新潮クレストブックスを見本にしようと思っていたのでそれと、一応の比較用にその他にも数冊あれこれ定規を当てた。印刷に出すことを考えるとあまり変形サイズにせずA5とかB6とか規定サイズにしておいたほうが無難。サイズとセンチの換算はインターネットにあるから表などで確認して。でも変形サイズの良いところはちょっと目を引きやすかったりオシャレさを演出できるところなので、予算であったり冒険心であったりコンセプトであったりとの兼ね合いで決めてくれ。せっかくだしあそぼう!みたいな勢いわたしは大好きだな。まあわたしは今回B6(128×182mm)にしたけど。

 

2. 中のサイズも決めよう!

これは余白と文字の大きさのこと。本を開いたとき内側にくる余白(ノド)と外側にくる余白(小口)と上(天アキ)と下(地アキ)をどうするかでもクールに見えるのか野暮ったくなるのか個性的になるのか読みにくくなるのか決まってくる。ここでも定規の登場だ!インターネット上には○センチ開けろとか出てくるけど、お気に入りの本を定規で測るのがいちばん良い。ノド部分はわたしのように無線綴じ(ホチキス留めじゃなくてなんか糊付けされてる普通の本みたいな製本方法)をする場合はあんまり狭くしとくとページとページが寄りすぎて文字読みづらい問題が発生するので少しだけ注意が必要。

まず先に余白をどのくらいにするのか決めて、残った部分に文字が入る。

この文字、あぁ文字。文字サイズの決定も悩ましいところ。ここもわたしは好きな本を測った。蟻の身長を測るかのように好きな本の文字に定規を当てて「2.5mm?ちがう3mm?」と確認し、それに×0.25して文字の級数を割り出す。よくワードなんかではポイント数で文字サイズを選択すると思うしポイントでもいいんだけどそっちは計算がめんどうなので(1pt=0.3528mm)わたしは自分が以前習った通り級数(1Q=0.25mm)で文字サイズを決めている。ちなみに行と行の間の距離である歯も0.25mm。

ここまで参考にしてきた好きな本の1ページあたりの文字数を数えて大体どのくらいのページ数になりそうか概算しておくと最終的な規模がわかって良い。1行あたり何文字で、それが何行なのか。これはわたしもだったけど、最初はそれ参考にしてベースを作ってみてもどうもしっくりこないこととかあってもっと広げたいとか大きくしたいとか出てくる。だから決定ではなくてあくまで目安にするために数えたり測ったりする。60ページくらい?とか書いてるけど最終的に倍くらいになってるしね!

1ページ何文字になりそうか計算している原稿の裏

 

3. そろそろデータを作り始めよう!

表紙があって、無線綴じなら背幅があって(でもページ数がわかるまでは何センチ必要かわからないな)目次もつけたくて、各話のタイトルは別ページにドンとしたいな、みたいなことをイメージして膨らませていく。何もかもこの通りに行くわけじゃないけど、考えないといけないことがなんなのかを実際に始める前にメモしておく。ここまで来てからいよいよ入稿用データ(今回はadobe illustrator)を起動した。ブォン!

どんな雰囲気になるのか下書きしている

 

思ったより長くなってしまったので今日はここまで!次回につづく

どうやってお話を思いついているの?

わたしが再び(何度目かの再び)お話を書くようになって、はや2ヶ月ほどとなった。たまに、どうやってアイデアを思いついているのか、ストーリーの形に膨らませているのか、ラストは決めてから書き始めるのかといったことを聞かれることがある。

実はこういう質問、パトリシア・ハイスミスもアーシュラ・ル・グインもよく聞かれるんだよねってエッセイで書いていたので、普段オリジナルをあまり書かないひとにとってかなりユニバーサルな疑問なのかもしれない。

わたしの場合はどうなのかを書いておく。読んでもし参考になったらその足ですぐ何か書いて欲しい。短くてもしょぼくても関係ない。何もかもあなただけのお話を読ませて欲しいし聞かせて欲しい。

 

わたしの場合は、ちょっとした言葉の切れ端とかイメージの断片とか、主に目からと耳からの刺激のひっかかりがお話に膨らむことが多い。引っかからないな、と初めのうちは思っていたけれど、ほんのごくごく小さくて勘違いかなってくらいの反応も一応拾っておくと役に立つ。自分でも意識の上では気づかないような小さな小さなピンっときたひっかかり、それをメモ帳に書いておく。ちなみにメモ帳に書くのは映画『チック・チック・ブーン!』の影響だ。それまではその場でもう少し大きな塊になるまでイメージして記憶するようにしてたから効率が悪かったしアイデアもすぐ忘れてた。メモは良い。メモを取れ。

このピンっとくる小さなもののことがよく分からないひとは、iphoneなんかで歩きながら写真を撮ってはどうだろう。変な形の雲とか、なんとなく気になる色合いの葉っぱ、人混みの中を自分だけの確実なスピードでのしのし進んでいく知らないおばあちゃんの背中(肖像権には注意してね)なぜか道路の真ん中に落ちている靴べら、山積みにされて半額シールの貼られた「高級桃」。面白かったり、ちょっとさびしかったり、そういうんじゃないけどなんか妙に気になったり。心の琴線に触れるなんてところまでいかなくていいから、ただ自分のアンテナの感度を上げるトレーニングのように写真で記録していく。これは別にパッケージや雑誌のスクラップでも生活音の収集でもなんでもいい。わたしは視覚的な人間だしいつもiphoneを握っているからそれがいちばん手軽かなって思っているだけで。

段々、勘が良くなっていく。これはなにかメモっといたほうがいい気がするなという感じがする。その感じに従って、なんのことかわからない言葉やイメージの断片をメモしておく。すると後日にでもまたそのページを開いたときに、イメージが少し膨らむ。どういうことなんだろうこれは、なんだかこういう映像が浮かんでくるよな、などなど。あれだ、心理学のロールシャッハテストみたい。一切なにも見えないなんてことはない。ただまだそのときじゃないときは無理して膨らませずに少し置いておくのもいいかも。いつかもっと後日に別のメモの一文と手を結んできたりするから。

わたしがメモしている言葉から膨らませたもののなかで一番わかりやすいのはお布団の中でメソメソしながら聴いていた曲の歌詞「It's just a bad day, not a bad life」ただ良くない日ってだけで、ダメな人生ってわけじゃないという意味なんだけど、これがこの前書いた『フルーツ』になった。『フルーツ』の中ではそれをむしろ「言わない」形になったんだけど。まあ読んでないなら読んで(宣伝)ちなみにこれは初めて明確にレズビアンカップルとして書いたんだけど、いつもロマンスを書くときはできるだけ性別を特定する言葉を排除するようにしている。もちろん物語の構成上、そのキャラクターの性別の開示が必要なこともあるけれど、なくて済みそうなときは書かない。彼はとか、彼女はとか、俺とか僕とか、スカートとか口紅とか、そういった性別がすぐに予想できる言葉たちはそのキャラクターの人となりを伝えてくれる便利な情報なんだけど、同時につい口籠るとか、目をみて話せないとか、いつも同じ色のシャツを着るとか、髪を半年に一度しか切らないから散髪の翌日は見た目が激変するとか、料理が好きなのにトーストも失敗するとか、そういったこともその人の重要な部分で、わたしはそっちに興味があるからそれを書く。それにわたしが知らないだけでもしかしたらそのキャラクターは自分はノンバイナリーかもしれないと思ってる段階にいたりするかもしれないし。

まだ全然役立ってないメモもある。わたしは大の『クリミナル・マインド(の初期キャラクターのジェイソン・ギデオン)』のファンなんだけど、ギデオンが「finding new ways to hurt each other is what we're good at. 」お互いを傷つける新しい方法を見つけるのが人間は得意だから、って言ってるのが妙に気になってメモしているんだけどまだあんまり広がってはいない。もしかしたら気になったのは言葉じゃなくてギデオンのほうだったのかもしれない。おおいにあり得る。

「本当に遅すぎたとき、人はどうするのか?」っていうメモもある。たぶん、何事も遅すぎることはないとかそういうよくある言葉に対して、でも本当に遅すぎたら?って思ったんじゃなかろうか。経緯は忘れてしまった。これはあるパートナー同士のサスペンスとして書きたいなと思って連想ゲームみたいにメモを膨らませている。まだ言葉上で「どんなことに遅れる?どういう意味の遅れ?」とか書いて行ってて、たぶんそのうち映像としてワンシーン浮かんでくると思う。

わたしはいつもだいたい映像になったものを書き起こす感じだけど、文章で考えて文章で膨らませてそのまま文章を書く人もいると思う。だからこれはあくまでわたしの感覚なんだけど、お話をつくることって左右の脳をものごとが行ったり来たりして協力しあって新しい(とはいえ材料はそこにあるものから違う組み合わせと調理によって)何かを生み出している行為じゃないかと思う。その過程に非言語のものを挟んでいないとわたしはなんとなく満足できない。普段から何気なく見て聴いていることやよく考えずに深層心理にしまわれているものまで参加してきてなにかが生まれてくる。だからすごく怖いし、不安だし、恥ずかしいものでもある。芸術行為のほとんどがそうだ。普段は隠れていて自分でも気づいてない差別意識だって意気揚々と混ざっていたりするし、どうしてこんなものが?と思う何かが出てきたりする。

それはvulnerable 傷つきやすさ・心のやわらかいところであると同時に力強さとか生命でもあるので、わたしはとても好きだしクセになるなと思っている。書くのも、読むのも、観るのも、聞くのも、演じるのも、踊るのも、歌うの…はちょっと苦手だけど、そういうの全部。

日常のなかでなんとなくピンっときたことを大事にしてほしい、ささやかでも、しょぼくても。それを3行でも400字でも1万字でもお話にしてほしい。東君平の『ひとくち童話』って誰でも知ってるのかな。あれはわたしのお話の原点だな。即興的で、はじまりがあっておわりがあるお話。やってみると、ちょっと恥ずかしくてでも楽しいから。ぜひやってみて。

 

 

 

星と井戸[ショートストーリー]

※注意   暴力、虐待に関する表現があります。

 

 

 

地下はそりゃあ酷い臭いだったよ。汚物も食べ残しも腐ったものも腐れないものも街中からいっしょくたに集まってくるんだから。それをコンベヤーの上にぶちまけてひたすら分別していくんだ。とんでもないものが混ざっていることなんか日常茶飯事だった。ときには良いものもあるんだけど、大体ひどいものだよ。動物の死骸とかね。けどまあそんなものばかり見ているともうただの作業になってどうとも思わなくなるものさ。たまにすぐにいなくなる人達もいたなぁ。だけどどのみちあそこにいるのはみんなほんの一時的なことだった。

 

え?そう、おれはずっといたよ。おれの親父さんはグレイラットにしては珍しくてそこを何十年と定住地にして暮らしていたから。おれもそこで育ったんだ。地下の仕事に従事するやつらにはみんな灰色の作業着が支給されて、それを着て地上を一列になってぞろぞろ歩いて回るものだからグレイラットなんて呼ばれてたんだ。蔑称だけどね。ほらここを見て、手首に痣があるだろ。あんまり長いことブレスレットをつけていたから、もう取れないんじゃないかな。政府は地上からホームレスを一掃して街を「きれいに」するためにふつうじゃないやつらを地下に押し込んだんだ。でもまともに管理する手間は惜しいから番号札みたいなブレスレットを付けさせて、仕事をしているかと、食料品の支給と、医療クーポンの配布と、ミミズの巣穴みたいな寝床の提供だけしてたんだ。食料品て言ったってみんな缶詰だよ。おれを180センチまで育てたのは政府支給の缶詰ってわけだ。

 

さっき酷い臭いって言っただろう?もちろんマスクはあったさ、有毒ガスの発生だってあり得たんだから。大した役には立たなかったけどね。だけどそんな酷い臭いでも、人間の脳ってのは刺激に慣れるものなんだな、どうということもなくいられるようになっちまうんだよ。一日中地上でゴミ集めのシフトの後なんかは地下へのスロープに近づくとそれがグワッと分かるんだ、どれだけ酷いかって。鼻から入って肺や胃を腐らせて溶かしていくような強烈な臭いさ。だけどおれはそこで育ったからな、もう、なんとも言えない安心を感じたもんだ。今でもあれを探してドブ川まで行くことがあるけどね、ぜんぜん違うんだよ。この街は綺麗すぎるんだな。そう思わないか?

 

親父のことが聞きたいのか?あぁ、良いやつだったよ。というかまぁ、普通の父親さ。血が繋がっているかは分からなかったけどな。物心ついた頃には親父と地下で暮らしていたから、おれの母親が誰なのか、生きてるのか、親父の女だったのか、それとも親父がゴミ箱からおれを拾ったのか、そういった話はしなかった。大体そんなこと聞いてどうだっていうんだ?おれたち誰だって生まれた時のことなんか知らねぇんだし、気づいた時に親父がそこにいるならそいつと生きていくしかねぇわけだ。さっきも言ったように親父は珍しい古参のグレイラットだった。変色したブレスレットが手首の肉に食い込んでるくらい古参のだよ。汚ねぇひとり部屋でふたりで暮らしてた。親父がベッドで、おれが床で寝て、ひとり用の缶詰を薄めて少し分けて育ててくれた。おれはラットとして登録されちゃいないから缶詰の支給がなくてね。な?良い親父だろ?親父はおれのことをあんまり好いちゃいなかった。見た目のせいだな。親父は恰幅が良くて逞しかったけど、ガキの頃のおれはがりがりに痩せて青白くて引っ込み思案でおどおどしてたもんだから、仕事で疲れた親父はイラついてたんだと思う。おれはよくベルトで殴られたよ。それでも親父が他のラットたちにおれのことを「貸し出し」するようになってからは違うな。機嫌が良い時なんかは「息子や」なんか言ってくれたしな。え、貸し出しはそりゃ色々だよ。親父は酒飲みだったけど酒は支給品にはないからな、拾い物か現金が必要だった。だから仲間にガキを30分か1時間貸して好きにさせるのさ。おれにとっちゃ楽しいことなんかないけど、それで親父は酒が手に入って俺はベルトのバックルで殴られることもないんだから、まぁ。

 

おれがひとりでチョロチョロできるようになると親父は時々おれを仕事に連れていったよ。それまではずっと地下から出たことなかったな。でも地下も地上もたいして変わらなかった。何かもっと複雑に色んなことをやっているんだなという感じはしたけど、おれは地下のシンプルさに慣れすぎていたし、猥雑さを心地よく思うようになってたからな。あぁ、それからあの天気!あれには参った。凍えそうなほど冷たい風がごうごうと吹いているのにひどく眩しい太陽がぎらぎら照っていてとんでもないと思ったもんだよ。ずっと地上で生きてるひとには分からないだろうけどね。

 

親父はどんどん酒の量が増えていって、仕事に出ることが減って行った。だから支給の缶詰さえ滞るようになったよ。おれはもっと頻繁に貸し出されるようになったし、それでなんとか飢えを凌いでたんだ。仕方ないよな、長年ラットをやってるってのは大変なんだ。地上の人間たちにとっては見たくない対象だからリンチに遭うようなことはねぇんだけど、灰色のおれたちは完全にいないものとみなされる。わかるか?存在しないみたいに、誰も見ないんだよ。もし見てしまったら自分も穢れるとでも思っているのかな?ふふふ。しかしお上品な人間てのはよくもああ頑なに見ないことを徹底できるもんだ。時々本当におれたちは透明だったんじゃないかと思うよ。

 

ある日親父が死んだ。ずっと咳き込んでいたのがずいぶんひどかった夜があって、おれの顔を見てると余計に気分が悪くなるって怒鳴られたもんだから、夜メシの缶詰だけ開けてやっておれは部屋を出てひと晩地下を端から端までブラブラしてたんだ。一番奥は焼却炉になっていてものすごい熱さだ。早朝に部屋に戻ったら親父は口を開けて眠ってた。だけどいびきもかいてないしいつも大きく膨らんだり萎んだりする腹が止まってた。こっそり近寄ってみても息の音が聞こえなかったよ。それでおれは、もしも中途半端に死んでたら親父がかわいそうだと思って自分の毛布を丸めて親父の顔の上に押し付けた。車に轢かれた猫を見たことあるか?内臓が出てもう死ぬしかないのに痛みに飛び上がってじたばたしてるのさ。親父がそんなことになっちゃかわいそうじゃないか。おれはそのまま50まで数えた。そのまままた50まで数えた。それから50。また50。恥ずかしい話だけどな、その頃のおれは50までしか数字を知らなかったんだ。そうして50を6回数えても親父は動かなかったからおれは丸めた毛布をどけた。親父は缶詰を食べてなかったから代わりに食べたよ。

 

親父の灰色のツナギはおれにはぶかぶかだったけれどとにかく着ることにした。錆びついたブレスレットをなんとか外しておれは自分の手首にはめた。おれは親父の代わりに親父の番号でラットの仕事と缶詰の支給と医療クーポンを引き継いだ。やり方はずっと見てきたからな。難しいことはなかった。大変だったのは死んだ親父の死体の方さ。おれは親父の生命を失ってだらりとした重たい体をゴミの最終目的地の焼却炉まで引きずって行ってどうにか放り込んだ。親父は長い時間を地下で生きて死んだ後まで地下で灰になったんだ。一本気ってもんだろう?

 

親父が死んだ数年は幸せだったよ。一人前になった気がした。とはいえ当時12だったのか15だったのか18だったのか、生まれた歳を知らないもんだから数えようがないが、まだ毛が生え揃う前のガキだったことは確かだ……おっと若い女性の前ですまない。とにかくおれは地上をまわり、地下で分別をし、ひとりぶんの缶詰をひとりで食べて、それからようやく初めてベッドで眠った。良いものを見つけてはこっそりポケットにしまっておいて部屋で自分だけで眺めたり並べたりもした。おれは美しいものが好きだった。色ガラスの破片とか、子供の靴から落ちたきらきらするビーズとかね。腐臭と熱気の充満する不潔な我が家のちょっとしたアート作品ってわけだ。

 

だけど、あれほど美しいものをみたのは初めてだった。

 

おれはその朝は夜明け前からオフィス街ってやつの道路でゴミ箱を押してたんだ。いつも通りの仕事だ。少しずつ地上のやつらが道に増えてくる時間になっていた。そのとき夜の空色の上下を着た…後になってビジネススーツってものだと知ったんだが…若い男がおれに向かって飲み物の入った紙コップを投げつけた。いや、おれの押しているゴミ箱に向かってだったんだが、おれのツナギの胸に飲みかけのコーヒーを撒き散らしながらカップは通過して行った。そいつは「失礼」と言っておれの顔をほんの一瞬見た。おれは地上の人間と目を合わせたのは初めてだったよ。後ろに撫でつけた黒髪で青い目だった。青い目。美しい青い目。

 

そのひとが歩き去っていく後ろ姿を見送って、おれは紙コップを拾い上げてゴミ箱に入れてまた歩き出したよ。だけど一日中そのことばかり考えていた。あの輝きをもう一度見たかった。色ガラスやビーズのように手に触れたかった。

 

おれはできるだけ同じ時間の同じ場所に通ってそのひとを待った。それからどこに行くのか後をつけていつどこをどんなパターンで行き来するのかを突き止めた。難しくはなかったよ。グレイラットを見ようとする地上の人間なんか誰もいないからね。おれは毎朝のオフィス街を担当するようになった。みんな嫌がるんだ、不可抗力であってもラットに堕ちることを恥じているから。だからいつだってそのシフトに入れたし、夜はそのひとの家の窓を見上げて歩道にじっと立ってたよ。何度も何度も何度も見たけれど、見られることは一度もなかった。あんな気持ちになったのは初めてでおれは胸の高鳴りを持て余していた。

 

なぁ、きみも誰かを愛したことがあるかい?本当に素晴らしい最高な気持ちと最悪な苦しさが同時に体の中を暴れているんだ。それでやるべきことはひとつだと思った。勇気を出すべきときが来たんだ。

 

おれはあのひとの行動パターンと地上の街の構造をよくよく重ね合わせた。それでいちばん良い時間は夜が来る前のあのロマンチックな薄暮れ時だと思った。ゴミ箱を押して地下から這い出た。緊張はしてなかったよ。ようやくこの日が来たと思って、清々しかった。おれは建物からも道からも見えない路地の影に身を潜めた。潜める必要なんかないんだけどね、誰も見やしないんだから。あのひとが歩いてきたときには心臓が跳ねて飛び出しそうだった。おれの横を通り過ぎようとしたところで捕まえて、腕で首を締め上げた。そのまま路地に引き込んで気を失ってじたばたしなくなるまでそのままでいたよ。それから口にボロ布を詰め込んで、手足を拾い物のロープで縛って、眠っているあのひとを空のゴミ箱に押し込んだ。手足を曲げてすっぽり入ったよ。喜びで爆発しそうだった!おれは急いで重たくなった大事なゴミ箱をゴロゴロ押して地下へのスロープに向かって歩いて行った。あたりはどんどん暗くなって月が輝きはじめていた。地下からの安心させるような腐臭が上がってくるあたりでおれはゴミ箱の蓋をあけてみた。我慢できなかったんだ。そうしたらあのひとは起きていて、恐怖で目を見開いてこっちを見ていた。あの青い目で。夜と月の光に照らされて暗い深い色になった目で。口にボロ布をくわえたままがたがた震えながら。おれは背骨の下から首筋までとんでもない快感が駆け上るのを感じたよ。そんな強烈な快感は生まれて初めてだった、あぁ。

 

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わたしは狭い小さな食料品店のカウンターの前で膝を突き合わせている相手から聞かされた話に頭が真っ白になっていた。こんなインタビューになるはずではなかった。ただN市が20年前にようやく廃止した地下処理施設での人権侵害と搾取労働について経験者の体験を集めていただけのはずだった。わたしとの約束のために店のドアにはCLOSEの札がかけられ、ブラインドは閉じられていた。来たときには強烈な陽光がその隙間から線状に差していたはずなのに、今はどんよりと暗い。雨になるのかもしれない。わたしは蒸し暑さで滲んだ額の汗を手で拭って質問をしようとした。声が掠れてしまい喉を何度か鳴らしてどうにか言葉が発せる状態にしようとした。店主の背後の雑多な店内に目を向けると、品揃えの半分は缶詰だった。

 

「それで、そのあとは、どうなったんですか」

声は笑えるくらい小さく震えていた。わたしの脳は走り出すように言っていた。わたしの体は無理だと言っていた。椅子の上で彫像のように固まっているしかできない。カウンターの上に置いたレコーダーの赤い録音マークが消えている。充電は確認したつもりだった。いつ消えてしまったのだろう。

 

わたしの質問に、店主は肉の薄い頬を折り畳むように口の端をぐーっと上げてピエロのような笑顔の形を作った。わたしはそれにゾッとして冷たい汗が背中を流れ落ちた。

彼の目は深く真っ暗で、笑みからは程遠かった。

夏至前夜のファンタジー[ショートストーリー]

むしむしとした夜の森の広場で、エルフとドワーフコボルドが焚き火を囲んで座っていました。明日は夏至の日、今夜は森も原っぱもどこもかしこも大騒ぎです。妖精たちの大きなダンスで歌う声や踊る音が風に乗ってかすかに聞こえてくるあたりで、3人は静かに自分たちだけの語らいの夜を過ごしていました。

「なにか不思議な話をしてよ」

ドワーフがふたりに言いました。ドワーフはいちばん若かったので、知っているお話はもうみんな話し終えてしまったのです。

「そうだな、ちょっと怖い話がいいよ」

コボルドはポケットの中の宝石くずを出して火に透かして眺めながら言いました。

「きみたちはそうやってあたしを年寄り扱いするんだね」

エルフは長い髪を肩から払いながらフンと鼻を鳴らしました。彼はいちばん長生きでしたが、しかしいちばん短気だったのでお話を語るのに向いていないことをちょっと気にしていたのです。だからそのとき森の奥からがさがさとフォーンがやってきたことに安堵しました。

 

「やぁ!フォーンの君、うつくしい蹄のひとよ!」

「やぁ!エルフの君、ドワーフの君、コボルドの君よ。ごきげんいかが。こんなところでも宴会をやっていたのね」

フォーンが一緒に座ってもいいか尋ねると3人は喜んで場所を空けました。

「きみたちはピクシーたちのダンスには行かなかったのかい?」

フォーンが尋ねました。

「ぼくたち、騒がしいのはあんまりなんです。毎年夏至の前夜はこうして自分たちだけで集まってすきにやってるんですよ」

ドワーフが朗らかに答えました。

「フォーン、あなたがきて早々にこんなお願い申し訳ないんだけど、ひとつ不思議でちょっと怖いお話なんてしてもらえませんか?あたしたちどうしてもなんにも思いつかなくて」

エルフがフォーンに聞きました。フォーンはううんと考えました。3人が根気強く待っているとやがて重々しい声でお話を始めました。

 

「それではわたしが知っているなかでいちばん不思議でおそろしい話を聞かせてあげよう。これは『向こう側』についての言い伝えさ。向こう側のことはみんな知っているだろう?そう、ニンゲンというやつらがいるところだ。彼らはわたしたちと似ているけれどちっとも似ていない、動物とも虫とも植物とも話さない、妖精もドワーフも見ない、それなのに時々夏至の日になると彼らのうちのいくらかがこちらへ、我々の少数があちらへ行ってしまうとんでもない事故が起こるんだ。行って戻ったものは少なく、戻ってもみんな気が狂ったように泣き出して生涯をむっつり黙り込んだまま終えてしまうと言われている」

3人は急に森が冷え込んだような気がしました。ニンゲンのことは聞いたことがあります。でもそれはおとぎ話の生き物だと思っていたのです。それなのにフォーンはまるで実在するかのように言っています。あの恐ろしいニンゲンが!

「フォーン、蹄の君、そんな赤ん坊でも信じないような作り話はやめてください」

コボルドがきーきー高い声で言いました。

「ニンゲンなんているはずないじゃないですか、それに彼らが現れてぼくらが彼らの国に行くなんて、そんな、そんなこと」

ドワーフは声が消え行って最後まで言えませんでした。すっかり怯えてしまったのです。

「でたらめを言うなよフォーン、ファンタジーじゃあるまいし、すべての生物種がお互いに話せないなんて、そんなバカげた話があるもんか。それじゃ、どうやって食べたり飲んだりを互いに与え合ったり、怪我させないように交渉しあったりするのさ?」

 

3人は怯えを隠すようにやんやとフォーンに反対しました。そこでフォーンが口を開くより先にずっと下の方から小さな声が響いてきました。

「いいえ、ニンゲンの話は本当ですよ。珍しいってだけで、けしておとぎ話ってわけじゃない」

みんなは声の主を探しました。それはネズミでした。ネズミは深々と頭をさげました。

「これはこれは!勇敢な剣の尻尾の君!いらっしゃるとは知らなかった」

エルフも頭を深々と下げ返しました。

「立ち聞き失礼いたした、フォーンの君、エルフの君、ドワーフの君、コボルドの君。そのニンゲンの話、我々は短命な一族ながら豊かな子孫との絆と語りの技法によって先祖代々物語を受け継いできておりますゆえ、やつらの話もしばしば出てまいります。なんでもやつら、自分たちだけの言葉を話し、自分たち以外には名乗りも上げず、交渉も了解もなく、自分たち以外はすべて殺してむさぼり食い、自分たち以外はなんの注意も払わず踏み潰し、誰ともかかわらず孤独に生きる化け物だと言われております」

ネズミの話に一同はもっとぞっとしました。生き物同士が名乗らない?交渉もなく殺して食べる?潰して回るってどういうことでしょう。

「わたしたちも、暗黒の黎明期には虫やちいさいひとたちを踏み潰す事故は時々あったものだというが……」

フォーンが重く言いました。

「暗黒の黎明期の話はやめてください!」

ドワーフがきいきい涙を流さんばかりに叫びました。

「けれどあたしたちはだからこそ名乗りをあげるルールを作って守ってきたし、あしもとまじないの技術だってどんどん上がっていってるじゃありませんか。ニンゲンはあしもとまじないが下手なんでしょうか?」

エルフは身を屈めてネズミに尋ねました。ネズミは胸を張った堂々たる姿勢のまま首を左右に振りました。

「残念ながら我々の言い伝えにそこまでの話は含まれていません」

 

「他のちいさな生き物と名乗りあわないなんて……」

コボルドは無意識に宝石屑を手の中で弄びながら呆然と焚き火を見つめました。すると暗い雰囲気を破るように、フォーンがぼそりと言いました。

「実はわたしにも、ちいさな生き物に名乗りをあげず母からものすごく怒られたことがある」

みんなは一斉にフォーンの方を見ました。

誰かと接触するとき、それも自分よりちいさな生き物と会うときに共通語を用いて名乗り合い挨拶をすることは目を開けるよりも先に教え込まれる彼らのルールなのです。それをこのどっしりとした物知りのフォーンが破ったことがあるなんて!みんなはさっきまでの身も凍る恐ろしさを打ち遣ってフォーンに話をせがみました。

 

「わたしがまだずっと若い頃に、森から森へ歩き回って花畑に行ったことがある。ブルーベルが一面を青く染めていてとても美しかった。わたしは春に有頂天になっていたんだ。そのとき、どんな花よりも美しい真っ白な蝶が飛んでいた。そしてわたしの目の前の一輪にそっと留まってゆっくり羽を開いたり閉じたりと、なんともかわいらしい様子だった。わたしは思わず彼女を両手の中にそっと捕まえてしまったんだ」

フォーンは心底恥ずかしそうに話しました。髭に覆われた顔は幼い少年に戻っています。

「まぁ!フォーン!あんたその蝶に恋したんだ!」

エルフが叫ぶとフォーンは顔を覆って後ろを向いてしまいました。みんなは大笑いしたいのを必死に堪えて、この自分たちよりずっと年寄りのフォーンの失敗話を受け止めてあげようと努力しました。

「ねぇそれからどうしたの?」

ドワーフの問いかけにフォーンは肩越しにぼそぼそと答えました。

「すぐに母様がすっ飛んできて、蝶を離して謝るように幼いわたしを叱りつけたんだ。でも蝶の彼女は怒らずに、けれど二度とけっしてこんなことしてはいけないとわたしに言ってくれた。それから何百年もたつけど、わたしは一度として誰かの了承なく触れたことはないよ」

 

焚き火が小さくなってきました。ネズミはそろそろ次の宴会を覗いてみると言い去って行きました。3人は木々が落とした古い枝と木の葉を探して集めてきました。夜はまだ長いのでもうすこしくべる必要がありそうです。小さくなった炎のそばに艶々とした漆黒のカラスがプルプルと水を飛ばしながらてくてくやってきました。

「こんばんはみなさん!よい夏至の前夜ですこと!」

「こんばんはカラスの君、夜の水浴びですか?」

コボルドがその紫にきらきら光って見えるカラスの羽をうっとり眺めて言いました。カラスは翼を広げくちばしでちょいちょいと身なりを整えて言いました。

「ええそうなんです、明日に向けてちょっときれいにしとこうってね。火の近くにいても?今日はなんだか湿気っててうまく乾きそうにないんです」

3人がいちばん暖かく乾いた席をカラスに譲ってやっていると、突然強風が空から吹いてきました。ぶおん、ぶおん、ぶおんの3吹きで、小さかった焚き火が種火を残して消えてしまいました。

 

「あぁ!あぁあ!なんと申し訳ないことを!おまちくださいね、いま降りていって火を付け直しますから」

それは宙を舞うドラゴンでした。ぶおん、ぶおんと羽ばたくたびに彼らの頬に強い風がぱしぱしと当たります。ドラゴンは彼らのそばに降りようと下降してきました。

「「「そこはだめ!!!」」」

エルフとドワーフコボルドはいっせいに叫びました。ドラゴンが降りようとしたまさにそこではカラスが羽を畳んでギュッと強風に耐えていたからです。

「わたしが目に入らなかったみたいですね!風に乗る友よ、ドラゴンの君よ!」

カラスはぷんぷん怒って飛び上がりました。

「わたしはピクシーたちのダンスですっかり酔っ払っているのです。たいへん申し訳ない、空を飛ぶ親戚よ、美しい漆黒のカラスの君よ。どうかお嫌でなければわたしの頭の上に避難しておいてくれはせんか?」

そうしてドラゴンはエルフから足の裏にあしもとまじないをかけてもらってようやく草地に降り立ちました。

「やれやれ、妖精たちのダンスはまったく大したものですよ」

ドラゴンはそうっとひと吹きして彼らの焚き火を前よりも大きく燃え立たせました。カラスはドラゴンの頭の上が気に入り、尾羽までつやつやに乾かしました。

 

「フォーン、さっきの、ニンゲンのお話だけど」

ドワーフがフォーンに囁きました。

「もし、もし作り話じゃないならさ、きみは会ったことあるかい?つまり、その中でもすこしはマシなやつにってことだけど」

フォーンは焚き火に照らされながらにっこりとしました。

帽子窃盗団[ショートストーリー]

夏の爽やかな朝を北へ向かう電車がすいすいと駆け抜けていました。広くふさふさ揺れる麦畑も、ゆっくりと草を食む羊たちも、すばらしい青空を背景にして窓の外をどんどん流れていきます。その電車には大人たちに挟まれてオットー少年がわくわくとした顔で乗っていました。オットーにとってひとりで電車に乗るのはこれが初めてでした。少しそわそわとしていましたが、目的地は終点のセントラルステーションなので降り間違えることはありません。それでもなにごともはじめてひとりでするとなると緊張してしまうものです。

 

オットーはきちんとした身なりをした子供でした。お父さんからもらった古い革バンドの腕時計をはめて、膝には本を入れたバックパックを乗せています。その様子はこんなに天気の良い夏の日にこれから会社へ仕事をしにいかなければならない大人たちを微笑ませました。あなたがもしそこにいたなら、友達か、もしかしたらおばあさんでも訪ねるのかもしれないぞと思ったことでしょう。けれどオットーに夏休みに遊ぶ友達もおばあさんもいません。オットーには使命がありました。それは立派な作家になることです。そのためには彼はこの夏で図書館中の本を読み尽くさなければなりません。朝一番に行こう、あの街で一番古くて大きくて立派な図書館の重い扉が開いたら、誰よりも先に入るんだと、彼の心は燃えていたのです。

 

やがて電車はひと仕事終えたと言いたげにきゅーっと終着駅に入りました。大人たちにぶつからないよう礼儀正しく列に並んでオットーはホームに降り立ちます。きょろきょろと左右を見回して出口の案内板を探し、みんなが歩いていく方についていきました。なんて立派な駅でしょう!オットーの町のちいさな駅とはずいぶん違います。子供も大人もたくさん、遊びに行くための晴れ着を着た人たち、それから背広を着て帽子をかぶった大人たちがそれはもうあちらからこちらへ、こちらからあちらへと早足で過ぎていきます。出口までは美しい屋根付きのアーケードになっていて、大きな窓からはたっぷりと光が差し込んでいます。重厚な柱に支えられた天井近くには大きな壁時計があって8時35分を指していました。

 

オットーは前の日にお父さんと何度も確かめた順路を思い出しながら階段に向かいました。ゆっくり歩くおばあさんを追い抜き、後ろから走ってきた背広の大人をよけ、大きな駅に圧倒されながら出口に向かっていたオットーは不意に妙なことに気づきました。それは彼と同じくらいの子供です。それが数人、柱の影に隠れてこそこそとしています。

「こんな大きな駅の中でかくれんぼしてるのかしら」

オットーは不思議に思いました。だけど、都会の子供はそういうものかもしれません。それよりオットーは図書館に急がなければいけないのです。なのに妙にその子達が気になります。

「ぼくもほんのちょっとだけ、彼らを観察してやろう。そうだ、観察とは作家のもっとも重要な素質だ」

オットーは階段の影に身を隠してその子供たちを眺めました。ポケットからいつも持ち歩いている小さな手のひらサイズのメモ帳とえんぴつを取り出し、子供たちの様子を記録していきます。2人、大きい子と小さい子、大きい方は日焼けしていて黒い髪、小さい方は短いズボン、柱の影からチラチラと顔をのぞかせている。どこかフシンなようす、と。

オットーはメモを取りながら目を上げた瞬間にあっと驚きました。その子供たちの大きいほうが、急いで駅の出口に向かう背広の大人の帽子をサッと取ったからです。それから小さい方にそれをサッと渡すと大人がおや?と気づいて振り返るときにはもう姿を隠してしまっていました。なんという早技でしょう!

 

「とんでもないところを見てしまったぞ」

オットーは夢中で今見たことを書き留めました。ぬすみの現場を目撃するなんて、人生にそう何度も起きることではありませんからね。作家としてこれはぜひ本にしなければと思い鉛筆をうごかし、また顔をあげたときには泥棒の子供たちはいなくなっていました。さっきの柱の影にも、そのあと隠れた壁の隅にもいません。帽子をなくした背広の大人は困った顔でしばらくうろうろしていましたが、時計を見ると大変だとばかりにまた走って行ってしまいました。

「かれらは一体どこに行ったんだろう?」

そのときです、オットーの背後にだれかの気配を感じました。それから、なにか固い尖った感触のものが、アイロンをかけたシャツの背中に押し当てられて低い声が聞こえました。

「おれたちをかぎまわっている、おまえはだれだ」

オットーは内心ひやあせをかきました。声はどうやら子供のもののようですが、背中にはナイフのような武器がつきつけられています。けれど彼はたくさん読んだ冒険小説から勇敢さを学んでいました。パニックをおこさず冷静に答えることが肝心だと心得ていたのです。だから、できるだけゆっくりと言いました。

「ぼくは作家だ。きみたちのみごとな手際を見て、ぜひそれを記録したいと思った。無断で観察したことをあやまりたい」

背中側で相談する声がきこえました。

「作家だって?」

「警察じゃないのか?」

「こんなちいさな警察がいるか」

「どうしよう、こいつどうしたらいいんだ」

「連れていってエムスに聞こう、エムスがリーダーだ」

「ばか、名前を出すんじゃない。聞かれるぞ」

オットーはすこし大胆にこう付け加えました。

「ぼくをきみたちのリーダーに会わせてくれ。ぜひ提案したいことがある」

背中のふたりは静かになりました。顔を見合わせるような無言の合間の後にオットーのシャツから固い感触が離れました。3人は顔を向かい合わせました。背中に押し当てられていたのはドラムのばちでした。

「黙ってついてこい」

ばちを持っている小さい方が言いました。オットーは口をむすんだまま頷くと、彼らのあとに続いて駅の出口からまぶしい夏の日差しのなかへ出ていきました。

 

3人は駅を出て図書館とは反対の方に歩いていきました。建物が途切れたそこには、ちょっと奥まったところに木々でそっと包まれたような広場がありました。ベンチで待っている誰かにむかって、大きい方が手を上げました。

「いいか、いまからおれたちのリーダーに会わせてやる。でもぜったい失礼なことを言うんじゃないぞ」小さい方がオットーに凄んで言いました。

近づくとそれはオットーより少し背の高いだけのやっぱり同い年くらいの子供でした。でもぶかぶかで毛玉だらけの赤いサマーセーターを着て漁師のようなツバつきの帽子をはすにかぶって堂々としています。その子はベンチに登って背もたれに腰掛けていたのですがぴょんと飛び降りて言いました。

「サーシャ、いったいなんで赤の他人をつれてきたのさ?」

「こいつ、おれたちのことこそこそ見てメモしてたんだよ」

サーシャと呼ばれた大きいほうが答えました。どこかしょんぼりして恥ずかしそうです。

「ふーん、でもサーシャの手際を見られたんなら、きっとなかなかの眼なんだろ」

赤いセーターの子がそう言うとサーシャがパッと顔を上げました。

「そうなんだ、しかもノアとふたりがかりでやってたときのことさ。きっと誰にも見られてないと思ったんだけどなぁ」

サーシャもノアも、それから赤いセーターの子もオットーのほうをじろじろ見ました。オットーはここでも勇敢さを思い出して、手のひらのじっとりとした汗を拭って唾をごくりと飲み込んでから言いました。

「ぼくは作家のオットーだ。今日はリサーチのために街まできたところ、たまたまきみたちの見事な手際をみて度肝を抜かれた。ぜひ提案したいことがあるんだが」

オットーはお父さんが使うようなできるだけ大人に聞こえる言葉使いで言いました。3人のギャングはポカンとしています。

「ぼくはいつかピューリッツァー賞をとるような本を書きたいと思っている。戦場作家みたいにね。そこでぜひきみたちのぬすみの様子を書かせてもらいたいんだ。急いでいる大人からサッと帽子を盗んで逃げおおせるなんて、ふつうの子供にできることじゃない」

ノアがドラムのばちをオットーに掲げながら怒ったように口を挟みました。

「おい、勝手なこと言うな。おれたちはぬすみのためにぬすんでるんじゃない」

「え、じゃあなんのためにやってるんだい?」

「シホンシュギと戦っているのさ」

サーシャがオットーの問いに答えました。

「それに、どろぼうが記録係を連れてる例なんか聞いたことない」

「アルセーヌ・ルパンがいる」

赤いセーターの子が言うとサーシャとノアが黙りました。

「わたしはエメリー、エムスと呼んでくれ」

赤いセーターのエムスは右手をオットーに差し出しました。オットーはその手を取って握手しました。

「ぼくはぬすみでも戦いでも、仲間にはならない。あくまで中立な立場で記したいとおもう。もちろん大人には言わないよ」

エムスは頷きました。それでみんな決まりました。

「聞かれる前に言っておくけど、男の子か女の子かなんて尋ねるんじゃないぞ」

エムスが握手している手に力をこめてじっとオットーの目をにらみながら言いました。オットーはもちろん当たり前だろうと言って手を離しました。本当はもうすこしで言ってしまうところだったのです。

 

「ぼく今週も街の図書館へ行くよ」

オットーはキッチンでお父さんに言いました。「だからサンドウィッチを持っていきたいんだ、ぼくの当番なんだよ」

オットーは先週に会った窃盗団のことをお父さんに話していました。もちろん何から何までみんなってわけじゃありません。約束は守らなければいけませんからね。ただ同じ年頃の新しい友達ができて一緒にあそんだ、エムスとサーシャとノアという名前だといったことは言ってもいいと思ったのです。

先週かれらはノアが家から持ってきたサンドウィッチを一緒に食べました。オットーの分はエムスがはんぶん分けてくれました。

「これはわたしたちの儀式だ。サンドウィッチを分け合い戦う兄弟として」

エムスはそう言い、みんな真剣な顔をしてきゅうりのサンドウィッチを食べました。

今夜お父さんは夕食のシチューを作っています。オットーはサラダの準備を手伝いながら言いました。

「パパ、ノアはベジタリアンだからハムのはやめてよね」

オットーはサンドウィッチのことで思い出し、急いで付け加えました。

「ナッツのチーズがあるから大丈夫だよ。だれかアレルギーのある子はいないのかい?」

お父さんにオットーはにっこりしました。お父さんはなんでもよく心得ているのです。オットーが作家になりたいと思っているのもまさに、お父さんが立派で賢い作家だからでした。

「うん。ぼくエムスにもサーシャにもちゃんと聞いといたんだ。大丈夫だって」

「そのエムスって、男の子なのか?女の子?」

お父さんの問いかけにオットーはかんかんになって立ち向かいました。

「パパ!そういうことは言うもんじゃないんだよ!」

お父さんはそれはそうだな悪かったと言って、明日は必ずおいしいサンドウィッチを準備しておくよう約束してくれました。

 

帽子窃盗団といっても、かれらはただ盗むだけではありません。特別大急ぎで仕事に向かう背広の大人からだけ、その帽子をヒョイっと取ってしまうのです。その手際のすばらしいこと!オットーは何度見ても感動してしまいました。階段を急いで降りるひとから、出口の近くでイライラと財布をしまってるひとから、背伸びをしたりときにはドラムのばちでひっかけたり。頭の上から帽子がなくなれば誰だってすぐに気づきそうなものですけど、中には駅を出てしばらく歩いて行くまで、なんなら会社につくまで気づかずにいるひともいるくらい。それなのに、働きに急ぐひとたちは必ず帽子をかぶっているのです。大人ってなんてふしぎなんでしょう。

「それから盗んだ帽子はどうするのさ?」

オットーは尋ねました。

「なーんにも」

サーシャは駅の柱に寄りかかってにやにやと答えました。

「それがいいところなのさ」

エムスはぜったいに盗んだ帽子を売ったり自分でとっといたりさせませんでした。ときにはそのまま「落としましたよ」なんて言って返したりするのです。また、つけ髭をつけてパイプをくわえ、露天商のように帽子をひろげて持ち主がどうも失くした自分のものに似ているなぁと近づいてくるとさっと渡してしまったりするのです。ときにそれでチップをもらうこともありますが、それは大事なことではないのです。

「帽子は象徴なんだよ!」

エムスは説明しました。

「シホンシュギとの戦いだ」

ノアがドラムのばちでリズムの練習をしながら言いました。

「きみたちはアクティビストなんだな」

オットーはメモをとりながら呟きました。彼らの目的は最初に思った以上の奥深さで神聖な気持ちがしました。3人は肩をすくめてまんざらでもない顔をしました。

 

窃盗団はごく短い時間しか集合しません。朝の出勤時間をねらってだいたい1時間くらい。その週もオットーは8時にセントラルステーションに着くよう町を出ました。空はどんよりと曇っていて、むしむしとした空気が電車の中にこもっていました。くわえて、夏のバケーションに出かけた大人が多いのか、初めて図書館へ向かった日よりもずっと背広姿の大人が少ないのです。オットーはなんだかそわそわしてきました。盗みがなければ取材も記録もありません。もうやらないって言われたら、オットーはどうしたらいいのでしょう。

ぶしゅうっと熱い息を噴き出しながら電車はいつもの四番ホームに停まりました。それから出口に向かってながれていく人々の間をぬって、オットーも階段に向かいます。上からみんなの姿が見えないか見回すと、ふいにエムスの赤いサマーセーターが目に入りました。腕まくりをして腰に手を当てています。しかしおかしいのは、いつものようにノアやサーシャと壁際や柱の影に隠れて獲物を物色しているのではなく、通路のまんまんなかに立っているのです。それも、でっぷりとふとった駅員を前にして。オットーがさらに見回すと、ノアもサーシャも階段の影に隠れて心配そうな顔をしています。

途端に気づきました。

エムスがつかまったんだ!

それはきっと本のおしまいとしては素晴らしいものになるでしょう。崇高な理想を掲げる窃盗団が最後にはリーダーがつかまる正しくて悲しいエンディング。しかしオットーは素早く駆けていました。体をかがめて駅員のうしろからそっと近づき……

パッ!

オットーは初めて大人の頭から帽子を盗みました。それも駅員の帽子を!

オットーは大急ぎで走って走って走りました。でっぷりとした駅員は追いかけて追いかけて追いかけてきます。エムスはそれを見てケラケラ笑いながらサーシャとノアを連れて逃げ出しました。そしてオットーは出口に立つブロンズ像の頭に駅員の帽子をひょいと乗せると、みんなと一緒に夏の熱気のなかに走り入っていきました。

裁き[ショートストーリー]

大議会の扉の前まで来るとアリテイアの手首から鎖が外された。自由になった両手を使い重い巨大な扉を押し開けると、がらんどうの広間を見下ろすように五人の最高評議員が腰掛け、咎人の入場を待ち侘びていた。アリテイアは堂々と頭を上げ、大股で彼らの前へ歩み寄ると部屋の中央に描かれたファーの象徴である月の絵柄の上で立ち止まり、かがみ込んで指先で触れた。顔を上げると裁判官が罪状を朗々と読み上げた。

「アリテイア。カーであるにも関わらず汝その勤めを果たさず、あまつさえカーであることを否定し再三の警告を無視し天地の秩序に背く。因って肉体の処刑及び精神の追放を宣告する」

 

一番左の将軍は憤怒の表情で声を上げた。

「全く聞くに耐えない!これまでなぜ放っておいたのだ!せめて牢に入れるか都市からの追放でも何でもやりようはあっただろう!カーであるのにカーでないなどと子供の理屈にもないことを。一刻も早い処刑の執行を求める」

アリテイアはチラリと将軍に目を向けたが再び真っ直ぐ裁判官を見た。いや正確にはその背後の大きなステンドグラスを通して差し込むたっぷりとした春の午後の光を見ていた。暖かく、柔らかく、励ますような光だった。

「この者は家柄も良く、大罪であろうともそうそう簡単に処刑をと言うわけには行かないのではありませんか。家同士の軋轢を生みますし力関係の変化が起きれば我々評議会の安定の基盤も危うくなりかねない」

貴族院の長がふっくらと丸い顔を将軍の方へ乗り出しながら右端から口を挟んだ。黄色がかった金髪を油で撫でつけて耳にエメラルドの耳飾りをつけている。

「あなたの立場の基盤が、でしょう。あの者はあなたの従兄弟の子に当たるのだから」

政務官の長が隣で皮肉を漏らした。平民出身の彼にとって貴族院の長はいつも鼻につく存在なのだ。

裁判官の左隣で静かにアリテイアを見つめていた真っ白い豊かな髭を蓄えた神官が口を開いた。

「アリテイア、カーの子よ。お前はこの罪状を認めるのか?処刑にその精神を委ね、このように早く大きなひとつへ戻ろうというのか?今ならまだその身を自ら救うことができる。バカげた考えは引っ込めて、正しい道に戻る構えがあるなら、我々ももう一度やり直す機会を与えることもやぶさかではない。なにせこの通り、みな頭を悩ませているのだから」

神官の眼差しも声も深く暖かな優しさに溢れていた。いたずらをした子供を諭すような優しさだった。

アリテイアは発言の権利を求めた。評議会は許可した。

「裁判官どの、神官どの、将軍どの、貴族院の長、政務官の長。構造のなかに生きるファーの匠を受け継ぐ方々よ。わたしは罪状を否定します。わたしはカーではない。しかし同時に罪人でもない。わたしを処刑するなら、あなたがたはとんでもない間違いを犯すだろう」

アリテイアは淡々と言った。しかし声には自信と、瞳には怒りが爛々と宿っていた。

 

「どういうことだ」将軍が言った

「そのままの意味です、将軍どの。わたしはカーではない、よってカーではないという発言は真実であり、罪は存在しない」

アリテイアは将軍を見ずに言った。

「アリテイア、よく考えなさい。それは神話の否定になる。お前は今よりも更に……最も重い罪を犯そうとしている」

神官は皺だらけの瞼を持ち上げ目を見開き声を震わせながら言った。心底案じるような言い方はアリテイアをむしろ苛立たせ、初めて声を荒げさせた。

「神話の否定!わたしにその意図は一切ありません。あぁカーの創造とファーの慈しみから生まれた世界に永遠の繁栄を!わたしは心から敬意を向けています。だからこそ彼らに嘘を告白することはできません。わたしはカーではない。わたしの精神はわたしをファーだと言っています」

貴族院の長は朗らかに笑った。

「何を言うのやらさっぱりだな。謎々遊びでもしているつもりか。この年頃の若いカーはしばしばこうして気まぐればかり起こすものですよ。きちんと丁度良いつがいのカーが見つかって子を持たせればすぐにこんなこと忘れて落ち着くはずです」

「ですからわたしはカーではなく、他のカーとつがいになるつもりもなく、子をなすつもりもないと言っているのです。わたしのファーもまたそのことを理解しています」

アリテイアは辛抱強く言葉を噛み砕いで言った。裁判官がため息をついた。

「やれやれ、堂々巡りだな。これで罪状に戻ったというわけだ。カーの勤めを果たさない咎人」

評議会はそれぞれ互いの顔を見合わせてざわざわと言い合った。一体この者はなにを言っているのか、どのような処遇を受けさせるべきなのか。話し合いは同じところをぐるぐると回った。神官は神経質そうに髭を撫で、将軍は口角から唾を飛ばし、貴族院の長は取るに足らないことだと思い込もうと努め、裁判官は罪の数が跳ね上がっていくことに頭を抱えていた。政務官の長が硬い木材のようなよく通る声で一堂の注目を集めた。

「みなさん、このままでは日暮れが来ても終わりませんよ。どうですか、試しにこの者の言いたいことを一から十まで言わせてみては」

他に案はなかった。神官ももう、アリテイアがどれほどの罪を抱えていようと知ったことではないという気持ちで頷いた。

 

ステンドグラス越しの光が赤みを帯びて強くなっていた。日が落ち始めていた。それを見つめながらアリテイアは語った。

「偉大なる創造のカーがわたしたちを産み、偉大なる慈しみのファーがわたしたちを育んだことをわたしは感謝と共に信仰しています。わたしたちの精神を最も尊く、いつか偉大なるひとつに戻るまでの宝とするよう与えられていることにわたしは最上の敬意を払います。わたしはファーです。わたしの精神がそう言っています。それは偉大なるひとつがわたしの精神を通して語っているのです。しかしわたしは産まれた時にカーとされました。わたしではなく別の誰かによって。あなた方によって。なぜそれがわかったのでしょう?泣き方でしょうか?まさか肉体によってではないでしょう?ファーによって精神に劣る物体として定義つけられた肉体を見て触っただけで他者をカーかファーか判断できるとでも?これはわたしには至極簡単なことなのです。わたしは子を成すことに興味がない。わたしの精神がそれを訴える。それはわたしのすることではないと感じるのです。わたしはわたしのファーを愛しパートナーとして永遠を誓い合っているが、それはカーとしてでも成した子を共に教育するためでもない」

 

もはや評議会の五人全員が頭を抱えていた。なにをどう言えばいいのかわからない。裁判官が最初に口を開いた。

「それでは……えー……そうなると、この者はどのような罪に?」

水を向けられた神官はもはや温かさも優しさも消え失せた冷たい石のような態度で言った。

「異端、悪魔付きといったところでしょうか」

「そうなると肉体の処刑と精神の追放だけでは済まなくなりますね」

将軍は怯えを隠しきれずに声をやや上ずらせていた。

裁判官がアリテイアに向き直り、居住まいを正して断固とした顔を作って言った。

「汝、アリテイア、異端者として肉体の処刑と精神のさまよいに処する。偉大なるひとつに送られることなくその精神はさまよい続けることになるだろう。カーとファーの神の法によって宣告する」

 

貴族院の長がエメラルドよりも真っ青になってヒッと息を呑んだ。将軍も青くなっている。しかしアリテイアはニヤリと笑った。

「ではわたしは、自由な市民としてあなた方を告発せねばなりません。先ほどのわたしの発言は異端でもなければ世迷言などでもない。神々の物語を本当に理解していればわかること。実際にあなた方が蔑む貧者たちはカー同士でつがいになった後もカー達で集ったまま、カーのなかにはファーの役割をする者もいる。その逆もまた然り。ファーとカーが全ての中にあり役割は流動的であったのは古老たちの伝承に残っている。つまり『法』にしたときそれを異端とした存在がここにいるということになりますね」

 

アリテイアは衣の胸元から畳んだ書面を廷吏に手渡した。

「わたしは評議会を弾劾する。あなた方は自らの権力基盤のため神の法を曲げて現実にも神話にも即さない刑罰を課してきた。評議会に対する調査が終わるまでわたしの『罪状』についても保留いただくしかあるまい」

もはや誰も青くなどなっていなかった。怒りで震えていた。神官までもがアリテイアを口汚く罵っていた。しかし廷吏から書面を受け取った政務官の長だけはポツリと零した。

「しかしこの者は、少なくとも手順を踏んでいる」

それが全てだった。現状の法の上では今の評議会にアリテイアを拘束し続ける権利はなかった。アリテイアはステンドグラスに微笑むと床の月にもう一度指先で触れてくるりと踵を返して重いドアに向かった。今度は二人の廷吏が扉を引いて開けてくれた。

 

大議会を出るとシマホスがソワソワとした面持ちで待っていた。

「それで?」

彼の問いかけにアリテイアは飛びついて抱き締めて答えた。シマホスはしっかりとアリテイアを抱えて二人は束の間の喜びと解放に笑った。

「でも、まだまだこれからだ」

「あぁ。受けて立つよ」

ふたりのファーは手を取り合って廊下を後にした。

過去に書いた創作のリンク[ショートストーリーズ]

2015〜あたりに書いたお話たちのリンクその2です。

こちらはファンタジーとまではいかなくてもちょっと日常逸脱系。

興味がおありでしたら下記のリンクから!

下に行くほど比較的新しいです。

 

へそtoripiyonotes.wordpress.com

へそがしゃべります。

 

プラタナスtoripiyonotes.wordpress.com

少年がおじいさんの昔話を聞きます。

 

火事toripiyonotes.wordpress.com

植物に飲み込まれます。