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何回もおなじこと喋る

帽子窃盗団[ショートストーリー]

夏の爽やかな朝を北へ向かう電車がすいすいと駆け抜けていました。広くふさふさ揺れる麦畑も、ゆっくりと草を食む羊たちも、すばらしい青空を背景にして窓の外をどんどん流れていきます。その電車には大人たちに挟まれてオットー少年がわくわくとした顔で乗っていました。オットーにとってひとりで電車に乗るのはこれが初めてでした。少しそわそわとしていましたが、目的地は終点のセントラルステーションなので降り間違えることはありません。それでもなにごともはじめてひとりでするとなると緊張してしまうものです。

 

オットーはきちんとした身なりをした子供でした。お父さんからもらった古い革バンドの腕時計をはめて、膝には本を入れたバックパックを乗せています。その様子はこんなに天気の良い夏の日にこれから会社へ仕事をしにいかなければならない大人たちを微笑ませました。あなたがもしそこにいたなら、友達か、もしかしたらおばあさんでも訪ねるのかもしれないぞと思ったことでしょう。けれどオットーに夏休みに遊ぶ友達もおばあさんもいません。オットーには使命がありました。それは立派な作家になることです。そのためには彼はこの夏で図書館中の本を読み尽くさなければなりません。朝一番に行こう、あの街で一番古くて大きくて立派な図書館の重い扉が開いたら、誰よりも先に入るんだと、彼の心は燃えていたのです。

 

やがて電車はひと仕事終えたと言いたげにきゅーっと終着駅に入りました。大人たちにぶつからないよう礼儀正しく列に並んでオットーはホームに降り立ちます。きょろきょろと左右を見回して出口の案内板を探し、みんなが歩いていく方についていきました。なんて立派な駅でしょう!オットーの町のちいさな駅とはずいぶん違います。子供も大人もたくさん、遊びに行くための晴れ着を着た人たち、それから背広を着て帽子をかぶった大人たちがそれはもうあちらからこちらへ、こちらからあちらへと早足で過ぎていきます。出口までは美しい屋根付きのアーケードになっていて、大きな窓からはたっぷりと光が差し込んでいます。重厚な柱に支えられた天井近くには大きな壁時計があって8時35分を指していました。

 

オットーは前の日にお父さんと何度も確かめた順路を思い出しながら階段に向かいました。ゆっくり歩くおばあさんを追い抜き、後ろから走ってきた背広の大人をよけ、大きな駅に圧倒されながら出口に向かっていたオットーは不意に妙なことに気づきました。それは彼と同じくらいの子供です。それが数人、柱の影に隠れてこそこそとしています。

「こんな大きな駅の中でかくれんぼしてるのかしら」

オットーは不思議に思いました。だけど、都会の子供はそういうものかもしれません。それよりオットーは図書館に急がなければいけないのです。なのに妙にその子達が気になります。

「ぼくもほんのちょっとだけ、彼らを観察してやろう。そうだ、観察とは作家のもっとも重要な素質だ」

オットーは階段の影に身を隠してその子供たちを眺めました。ポケットからいつも持ち歩いている小さな手のひらサイズのメモ帳とえんぴつを取り出し、子供たちの様子を記録していきます。2人、大きい子と小さい子、大きい方は日焼けしていて黒い髪、小さい方は短いズボン、柱の影からチラチラと顔をのぞかせている。どこかフシンなようす、と。

オットーはメモを取りながら目を上げた瞬間にあっと驚きました。その子供たちの大きいほうが、急いで駅の出口に向かう背広の大人の帽子をサッと取ったからです。それから小さい方にそれをサッと渡すと大人がおや?と気づいて振り返るときにはもう姿を隠してしまっていました。なんという早技でしょう!

 

「とんでもないところを見てしまったぞ」

オットーは夢中で今見たことを書き留めました。ぬすみの現場を目撃するなんて、人生にそう何度も起きることではありませんからね。作家としてこれはぜひ本にしなければと思い鉛筆をうごかし、また顔をあげたときには泥棒の子供たちはいなくなっていました。さっきの柱の影にも、そのあと隠れた壁の隅にもいません。帽子をなくした背広の大人は困った顔でしばらくうろうろしていましたが、時計を見ると大変だとばかりにまた走って行ってしまいました。

「かれらは一体どこに行ったんだろう?」

そのときです、オットーの背後にだれかの気配を感じました。それから、なにか固い尖った感触のものが、アイロンをかけたシャツの背中に押し当てられて低い声が聞こえました。

「おれたちをかぎまわっている、おまえはだれだ」

オットーは内心ひやあせをかきました。声はどうやら子供のもののようですが、背中にはナイフのような武器がつきつけられています。けれど彼はたくさん読んだ冒険小説から勇敢さを学んでいました。パニックをおこさず冷静に答えることが肝心だと心得ていたのです。だから、できるだけゆっくりと言いました。

「ぼくは作家だ。きみたちのみごとな手際を見て、ぜひそれを記録したいと思った。無断で観察したことをあやまりたい」

背中側で相談する声がきこえました。

「作家だって?」

「警察じゃないのか?」

「こんなちいさな警察がいるか」

「どうしよう、こいつどうしたらいいんだ」

「連れていってエムスに聞こう、エムスがリーダーだ」

「ばか、名前を出すんじゃない。聞かれるぞ」

オットーはすこし大胆にこう付け加えました。

「ぼくをきみたちのリーダーに会わせてくれ。ぜひ提案したいことがある」

背中のふたりは静かになりました。顔を見合わせるような無言の合間の後にオットーのシャツから固い感触が離れました。3人は顔を向かい合わせました。背中に押し当てられていたのはドラムのばちでした。

「黙ってついてこい」

ばちを持っている小さい方が言いました。オットーは口をむすんだまま頷くと、彼らのあとに続いて駅の出口からまぶしい夏の日差しのなかへ出ていきました。

 

3人は駅を出て図書館とは反対の方に歩いていきました。建物が途切れたそこには、ちょっと奥まったところに木々でそっと包まれたような広場がありました。ベンチで待っている誰かにむかって、大きい方が手を上げました。

「いいか、いまからおれたちのリーダーに会わせてやる。でもぜったい失礼なことを言うんじゃないぞ」小さい方がオットーに凄んで言いました。

近づくとそれはオットーより少し背の高いだけのやっぱり同い年くらいの子供でした。でもぶかぶかで毛玉だらけの赤いサマーセーターを着て漁師のようなツバつきの帽子をはすにかぶって堂々としています。その子はベンチに登って背もたれに腰掛けていたのですがぴょんと飛び降りて言いました。

「サーシャ、いったいなんで赤の他人をつれてきたのさ?」

「こいつ、おれたちのことこそこそ見てメモしてたんだよ」

サーシャと呼ばれた大きいほうが答えました。どこかしょんぼりして恥ずかしそうです。

「ふーん、でもサーシャの手際を見られたんなら、きっとなかなかの眼なんだろ」

赤いセーターの子がそう言うとサーシャがパッと顔を上げました。

「そうなんだ、しかもノアとふたりがかりでやってたときのことさ。きっと誰にも見られてないと思ったんだけどなぁ」

サーシャもノアも、それから赤いセーターの子もオットーのほうをじろじろ見ました。オットーはここでも勇敢さを思い出して、手のひらのじっとりとした汗を拭って唾をごくりと飲み込んでから言いました。

「ぼくは作家のオットーだ。今日はリサーチのために街まできたところ、たまたまきみたちの見事な手際をみて度肝を抜かれた。ぜひ提案したいことがあるんだが」

オットーはお父さんが使うようなできるだけ大人に聞こえる言葉使いで言いました。3人のギャングはポカンとしています。

「ぼくはいつかピューリッツァー賞をとるような本を書きたいと思っている。戦場作家みたいにね。そこでぜひきみたちのぬすみの様子を書かせてもらいたいんだ。急いでいる大人からサッと帽子を盗んで逃げおおせるなんて、ふつうの子供にできることじゃない」

ノアがドラムのばちをオットーに掲げながら怒ったように口を挟みました。

「おい、勝手なこと言うな。おれたちはぬすみのためにぬすんでるんじゃない」

「え、じゃあなんのためにやってるんだい?」

「シホンシュギと戦っているのさ」

サーシャがオットーの問いに答えました。

「それに、どろぼうが記録係を連れてる例なんか聞いたことない」

「アルセーヌ・ルパンがいる」

赤いセーターの子が言うとサーシャとノアが黙りました。

「わたしはエメリー、エムスと呼んでくれ」

赤いセーターのエムスは右手をオットーに差し出しました。オットーはその手を取って握手しました。

「ぼくはぬすみでも戦いでも、仲間にはならない。あくまで中立な立場で記したいとおもう。もちろん大人には言わないよ」

エムスは頷きました。それでみんな決まりました。

「聞かれる前に言っておくけど、男の子か女の子かなんて尋ねるんじゃないぞ」

エムスが握手している手に力をこめてじっとオットーの目をにらみながら言いました。オットーはもちろん当たり前だろうと言って手を離しました。本当はもうすこしで言ってしまうところだったのです。

 

「ぼく今週も街の図書館へ行くよ」

オットーはキッチンでお父さんに言いました。「だからサンドウィッチを持っていきたいんだ、ぼくの当番なんだよ」

オットーは先週に会った窃盗団のことをお父さんに話していました。もちろん何から何までみんなってわけじゃありません。約束は守らなければいけませんからね。ただ同じ年頃の新しい友達ができて一緒にあそんだ、エムスとサーシャとノアという名前だといったことは言ってもいいと思ったのです。

先週かれらはノアが家から持ってきたサンドウィッチを一緒に食べました。オットーの分はエムスがはんぶん分けてくれました。

「これはわたしたちの儀式だ。サンドウィッチを分け合い戦う兄弟として」

エムスはそう言い、みんな真剣な顔をしてきゅうりのサンドウィッチを食べました。

今夜お父さんは夕食のシチューを作っています。オットーはサラダの準備を手伝いながら言いました。

「パパ、ノアはベジタリアンだからハムのはやめてよね」

オットーはサンドウィッチのことで思い出し、急いで付け加えました。

「ナッツのチーズがあるから大丈夫だよ。だれかアレルギーのある子はいないのかい?」

お父さんにオットーはにっこりしました。お父さんはなんでもよく心得ているのです。オットーが作家になりたいと思っているのもまさに、お父さんが立派で賢い作家だからでした。

「うん。ぼくエムスにもサーシャにもちゃんと聞いといたんだ。大丈夫だって」

「そのエムスって、男の子なのか?女の子?」

お父さんの問いかけにオットーはかんかんになって立ち向かいました。

「パパ!そういうことは言うもんじゃないんだよ!」

お父さんはそれはそうだな悪かったと言って、明日は必ずおいしいサンドウィッチを準備しておくよう約束してくれました。

 

帽子窃盗団といっても、かれらはただ盗むだけではありません。特別大急ぎで仕事に向かう背広の大人からだけ、その帽子をヒョイっと取ってしまうのです。その手際のすばらしいこと!オットーは何度見ても感動してしまいました。階段を急いで降りるひとから、出口の近くでイライラと財布をしまってるひとから、背伸びをしたりときにはドラムのばちでひっかけたり。頭の上から帽子がなくなれば誰だってすぐに気づきそうなものですけど、中には駅を出てしばらく歩いて行くまで、なんなら会社につくまで気づかずにいるひともいるくらい。それなのに、働きに急ぐひとたちは必ず帽子をかぶっているのです。大人ってなんてふしぎなんでしょう。

「それから盗んだ帽子はどうするのさ?」

オットーは尋ねました。

「なーんにも」

サーシャは駅の柱に寄りかかってにやにやと答えました。

「それがいいところなのさ」

エムスはぜったいに盗んだ帽子を売ったり自分でとっといたりさせませんでした。ときにはそのまま「落としましたよ」なんて言って返したりするのです。また、つけ髭をつけてパイプをくわえ、露天商のように帽子をひろげて持ち主がどうも失くした自分のものに似ているなぁと近づいてくるとさっと渡してしまったりするのです。ときにそれでチップをもらうこともありますが、それは大事なことではないのです。

「帽子は象徴なんだよ!」

エムスは説明しました。

「シホンシュギとの戦いだ」

ノアがドラムのばちでリズムの練習をしながら言いました。

「きみたちはアクティビストなんだな」

オットーはメモをとりながら呟きました。彼らの目的は最初に思った以上の奥深さで神聖な気持ちがしました。3人は肩をすくめてまんざらでもない顔をしました。

 

窃盗団はごく短い時間しか集合しません。朝の出勤時間をねらってだいたい1時間くらい。その週もオットーは8時にセントラルステーションに着くよう町を出ました。空はどんよりと曇っていて、むしむしとした空気が電車の中にこもっていました。くわえて、夏のバケーションに出かけた大人が多いのか、初めて図書館へ向かった日よりもずっと背広姿の大人が少ないのです。オットーはなんだかそわそわしてきました。盗みがなければ取材も記録もありません。もうやらないって言われたら、オットーはどうしたらいいのでしょう。

ぶしゅうっと熱い息を噴き出しながら電車はいつもの四番ホームに停まりました。それから出口に向かってながれていく人々の間をぬって、オットーも階段に向かいます。上からみんなの姿が見えないか見回すと、ふいにエムスの赤いサマーセーターが目に入りました。腕まくりをして腰に手を当てています。しかしおかしいのは、いつものようにノアやサーシャと壁際や柱の影に隠れて獲物を物色しているのではなく、通路のまんまんなかに立っているのです。それも、でっぷりとふとった駅員を前にして。オットーがさらに見回すと、ノアもサーシャも階段の影に隠れて心配そうな顔をしています。

途端に気づきました。

エムスがつかまったんだ!

それはきっと本のおしまいとしては素晴らしいものになるでしょう。崇高な理想を掲げる窃盗団が最後にはリーダーがつかまる正しくて悲しいエンディング。しかしオットーは素早く駆けていました。体をかがめて駅員のうしろからそっと近づき……

パッ!

オットーは初めて大人の頭から帽子を盗みました。それも駅員の帽子を!

オットーは大急ぎで走って走って走りました。でっぷりとした駅員は追いかけて追いかけて追いかけてきます。エムスはそれを見てケラケラ笑いながらサーシャとノアを連れて逃げ出しました。そしてオットーは出口に立つブロンズ像の頭に駅員の帽子をひょいと乗せると、みんなと一緒に夏の熱気のなかに走り入っていきました。