不死の馬[ショートストーリー]
(注意 暴力と死についての表現があります)
不死の馬がいた。
銀色に輝く馬だった。
多くの戦士や貴族が所有し、飾り立て、見せびらかした。
人間たちは何度も死に、馬は生き延び、次の所有者の手に渡った。
不自由なく食べ、よく運動して鍛え、清潔にされて戦場へ、あるいはパレードへ引き立てられた。
あるとき、背中に乗せていた騎士が死んだ。
重くぬるついた不快な死体を振り払って、馬は森を彷徨った。
我が物顔で手綱を引く人間がいないことは随分久しぶりだった。せいせいと解放された気分で、馬はのんびりと歩き回っていた。森は静かで、涼しく、木漏れ日がちらちらと美しかった。
そこで少年と出会った。
馬は一目で恋に落ちた。
少年はくしゃくしゃに乱れた金色の髪をしていて、肌は白く、顔にはたくさんのそばかすがあった。みどりいろの瞳で、集めていた薪を手にしたまま、じっと馬を見つめていた。
馬はどきどきとしながら脅かさないようにそっと少年に近づき、目を伏せておずおずと鼻面を近づけた。
少年は手を伸ばして、馬の頬に触れてくれた。
それからふたりは並んで森を抜け、一緒に少年のうちへ帰った。
少年は馬の背に乗らなかった。馬は乗せて構わないと思っていたが、馬具も引き紐もつけなかった。ただ自由に駆け回っている様子を見て微笑んでいたので、馬も思い切り走り、身を翻し、野うさぎの上をジャンプして飛び越えた。
それから一日の野良仕事を終えた少年と、夕日の最後のひとすじを浴びながら一緒にゆっくりと散歩をした。
思い出せないほど長い年月を生き、数えきれないほど多くの人間に所有されてきた馬から見ても、少年は明らかに貧しかった。
今にも朽ちかけた小さな小屋で一人で暮らし、納屋は馬のほかに家畜はいなかった。
服は薄汚れてぼろぼろで、手足は細く痩せこけていた。
馬は少年を助けたいと思った。狂おしいほどに。
少年が仕事をしているときに、馬はこっそり人目につく里のほうへと出かけるようになった。わざとゆっくりと歩き回り、颯爽と走り、彼自身を見せびらかした。
噂はすぐに広まった。
ある日、騎士がひとりの従者を連れて少年の家の扉を叩いた。
馬を買いたいと金貨を見せる騎士を見て、馬は悲しみながらもホッとした。
少年を救えるのなら、馬は再び飾り立てられ引っ張り回され戦場に駆り出されても本望だった。
驚きで立ちすくむ少年の足元へ金貨の袋が投げ置かれた。
従者が馬に引紐をかけた。
騎士が満足げに手渡された紐をぐいと引いた。
馬はそれにつられて一歩踏み出した。
獣のような唸り声でやめろと言って少年が鉈を振るった。
騎士の喉がぱっくりと裂けた。
従者は悲鳴を上げながら走って逃げた。
少年は目が怒りでぎらぎらと光り血まみれだった。
馬は驚きと歓喜で震えていた。
少年は初めて馬の背に跨った。
馬は全速力で走り出した。
ふたりはひとつになってそこから逃げた。
少年と馬は転々とした。遠くへ、遠くへ。
少年はあちこちで小作人を手伝って、わずかばかりの食べ物を得た。馬は少年を手伝った。
どこにも長居はしなかった。
それでも噂は追いついた。
日差しの強い暑い日だった。
少年は麦の刈り入れを手伝っていた。ところが借りている納屋の片隅から這い出して畑にきても、農夫は誰ひとりいなかった。
善良な農夫が欲深い領主に伝えていた。
欲深い領主は少年を殺して馬を奪うつもりだった。
復讐と馬、名誉と金がどちらも手に入るように。
少年に矢が射掛けられた。
急所は外したが命中した。
近寄ってくる領主の家来たちに馬は激怒した。
目は血走り口から泡を飛ばしながら猛烈に追い立てて蹴り飛ばし踏みつけた。
そして血を流す少年をどうにか背に上がらせて、暗い森の中へ飛び込んだ。
深く深く、森の奥へ馬は進んだ。
一晩走ってようやく馬は少年を下ろした。
しかし少年は死んでいた。
馬は何度も何度も少年のそばかすの散った青白い顔を舐めた。
少年は目を見開いたまま、二度と目覚めなかった。
馬は狼を近寄らせなかった。しかし鼠と鳥と虫たちは許した。
そうして少年を森に還し終えると、美しいものを集めて回った。
つやつやとした小枝や、色とりどりの葉っぱ、山ほどの花に赤い木の実、ふかふかとした苔などを、少年の骸にかけていった。
やがてこんもりとした墓ができた。
馬はその隣に横たわった。
耳にはなにも聞こえず、目にはなにも映らなかった。
なんの匂いもせず、皮膚にはなにも感じなかった。
馬はただ横たわっていた。
水のひとなめもせず、筋肉のひと筋も動かさなかった。
呼吸をしながら、もはや生きてはいなかった。
薪拾いのある子供が、いつもよりずっと森の奥までやってきた。
鬱蒼とした木々がふいに開けたところに、何か大きなものを見つけた。
おそるおそる近寄ってみると、それは横たわった馬だった。
しかししばらく見つめていてもピクリともしない。
子供はそっと触れてみた。
固く冷たい体だった。
あらゆる彫刻よりも精巧な石の馬が、誰も立ち入らない森の奥にあることを子供は不思議に思った。
それを子供らしい楽天性で、きっと神様がここで休ませているのだと思い込んだ。
すぐ近くのこんもりとした藪に咲いているノイバラを積んで石の馬の身体に乗せた。
それから薪を集めるためそこを離れるときもう一度だけ振り返った。
馬は木漏れ日で銀色に輝いていた。