toripiyotan

何回もおなじこと喋る

文章トレーニングの経歴

わたしはあまり文章を褒められたことがない。

子供の頃はよくお絵描きをしていて、上手いねとかわたしにも描いてとか言われ入賞したりもしたものだけれど、文章となると本当に数えるほどしか記憶にない。なんせ読書感想文が恐ろしく下手くそだったのだから、自分がこんなに何かを書いたりするようになるとは思っていなかった。

 

最初にはっきりと褒められたと感じて恥ずかしくも誇らしい気持ちになったのは、20歳ごろ入学した短期大学の文学の教授の授業でだ。何がテーマだったか忘れたけれど、〇〇について自由に400字ほど書いてみましょう、だったと思う。文章創作クラスのような授業だった。そのとき書いたエッセイに感心してもらえたようで、クラス全員の前で読まれてしまった。あまりに恥ずかしかった。その後もその授業では数本書いたけれどどんなものだったかよく覚えていない。ひとつは異種族間の恋(花札の萩と鹿、あるいは稲と雷のように)に関する物語というもので、豊穣の神である巨大な狐の妻になった人間の娘が性交のたび身体特徴が入れ替わっていきやがて狐になってしまう話を書いたことは覚えている。暗くて結構気に入っていた。それからその教授の別の近現代文学の授業でノルウェイの森についてレポートを書かなければいけなかったのだけれどノルウェイの森があまりに嫌いだったためその物語形式を絵本のような形にして語り直した物語を提出したところマザーグース的で良いと気に入ってくださり評価をもらえた。その先生には色々と気にかけていただき、しかしわたしはあまりに人付き合いが下手なので卒業後にも訪ねていくようなことが上手くできず関わりは途絶えてしまった。先生がこんな大した訓練もしていない若輩者がぽっと書いてみたような文章を「秀逸です」などと言ってくださったことは、どれほどわたしの支えになり現在のわたしを形成したか分からない。

 

その後は時々このようにブログを書くか、日記に思ったことや恨みつらみをメソメソ書くかくらいだった。25歳くらいの時だったかにライターの経営する会社の文章講座に隔週×5ヶ月ほど通った。そこではいわゆる読ませる文章だのといった言葉が飛び交うタイプの授業を受け、コラムや書評や手紙や小説など毎回800字で書いてくるように言われ添削を受けた。講座主催のライターの先生からはしばしば良い評価をもらえたものの、クリエイティビティという意味ではむしろわたしにはやや有害だったように思える。てにをはであったり、推敲の必要性であったり、ジャッジメンタルな読み手の視点の必要性は学んだけれどその後しばらくはまともに書けなくなってしまった。

 

そういえば、ショートストーリーを書くようになったのはその後からだ。文章の講座で会った他の生徒さんから、レストランの紹介文を小説風に書いてみてくれと言われてひとつ書いたこともある。でも大体は、精神疾患で家にこもって寝ているしかない日々について時々愚痴をブログにしたり、町をぶらぶら散歩していて目についた物から広がったアイデアを1500字くらいの短い創作小説にしたり。それも本当にたまにだったけれど。

 

だから、わたしの書いたものを気にいる人や褒める人、それどころか手を止めて読んでいく人なんてこれまでの人生で片手で数えるくらいしかいなかったので、今Twitterで時々いいねを押していってくれるみんなには心から感謝している。励みになるしまた何か書こうかなと思える。それが良いことなのか迷惑なことなのかは分からないけれど……。

 

これから先も趣味であろうとまだ書いていくならばどこかしらでまた講座なり受講したいなと思っている。以前調べた時にもそのライターの講座か田口ランディの講座くらいしか見つからなかった。クリエイティブライティングの授業ってなかなか見つからない。Skillshareのコースのようなトレーニングっぽい講座があればどなたかこっそり知らせてほしい。