toripiyotan

何回もおなじこと喋る

ずっとじんわりと悲しい

注意 精神疾患の症状について話します。

 

 

先週は酷かった。

全ての症状が戻ってきて自傷行為も2度ほどしたが、それもこれもどうやら回復のために変えてもらったSSRIが致命的に合っていなかったようで、前の薬に戻してもらったら落ち着いてきた。

ついでに壊していた腹具合も治まった。

だけど心の底の部分にいつも湿った沼地があって寒くて暗くてジメジメしていて悲しい。

それもごそごそとカエルや羽虫の幼生やトカゲやカニなんかでいっぱいの生命溢れる沼地じゃなくて、凍りそうなほど冷え切っていて完全に汚染されているから鳥の声もザリガニの身じろぎも聞こえてこない。そういうやつ。

そういう場所がみぞおちの中にいつもある。

それをよっこら抱えたままどうにか皿を洗ったり洗濯物を畳んだりする。

長年まともに精神疾患の治療をせずに無理やり気合いで「普通の暮らし」に臨んではブレイクダウンを繰り返したせいでもう訳の分からないことでパニックを起こしたりするようになってしまった。

加えて香害のこともある。

どこに行っても、どこにも行かなくても、花を模した人工的な強い香りが胃と脳を刺激してくる。体にまとわりついて落ちない。神経が昂り眠れなくなる。

一生こうなのかな、と思うようになってきた。

ずっとじんわり冷たい悲しさと同居しながら、何もせず何もできず。

あぁ、こういうのを“loser”って言うのかなとようやく自覚した。映画でよく聞くやつ。

みんなわたしみたいにならないでね。

変だなと感じたら、すぐに心療内科に行ってね。

それは心療内科に行けばすぐ治るとか間違いないとか保証するわけじゃなくて、メンタルヘルスに関わることについて専門家のサポートに繋がることに慣れておいてほしいという意味。

なぜなら、それが鬱の場合、わたしたちから治ろうとする力を奪うから。

生きて元気で楽しいことをしたいという意志を奪うから。

全ての意味を奪って完全な闇のなかに閉じ込める。冬虫夏草みたいに寄生して。

わたしにいつか社会生活や意味が戻って満足のできる寛解状態が訪れるかどうかは疑わしい。

Twitterを見たり本を読んだりお話を書いたりして、ずるずる終わりの時間を引き伸ばしている。

これは希望の話として終わらない。

だけど今は元気でがんばれるみんなたちの調子が少し傾いたとき、友達や家族と過ごしてもなんだかいろんな感覚が鈍って意味をなさなくなってきたとき、わたしの後悔を利用してもらえたら嬉しい。

そしたらようやくわたしも自分のこの理由のない悲しさと生き続けないといけない現実に意味が感じられる。