toripiyotan

何回もおなじこと喋る

時間はかかるけど思いがけず人間は変わる

f:id:toripiyotan:20211226125044j:plainiPhone歩数計測を見ると、2020年は毎日少なくとも5km以上の犬氏散歩をほぼ欠かさず行っていたのに、2021年は休む日が多くて棒グラフがガタガタと歯の欠けた櫛のような形になっている。そのことはわたしの良心と自尊心をジリジリ蝕んでいるのだけれど、しかし明るい面もある。他の家族が、犬散歩をするようになったのだ。

何度も繰り返しになるがもう一度おさらいしよう。実家の犬(イケオジロクちゃん11歳)は生まれて数ヶ月で保健所に保護されていた。我が家にきて最初のうちはかわいがられていたのだが彼はすぐにその本領を発揮し、ばかでか吠えボイスと散歩への情熱、力強い瞬発力と独立精神で人間たちを翻弄し、家族全員スポーツと無縁の超インドアファミリーはしだいに犬散歩を疎ましがるようになり、特にわたしが実家を離れてから5年ほどはほとんど散歩に行かず庭に繋ぎ飼いされていた。

わたしが唐突にその犬氏散歩を再開したのは2019年の9月、自分の健康のためにも週1くらいは〜と思っていたのが、比較的すぐ毎日通うようになった。とてもたのしい。しかしわたしは虚弱体質の精神疾患もち。当然といえば当然、むしろ昨年ががんばりすぎたのだろう。丸々1週間お散歩行けない…となることも出てきてしまった。

以前ならその皺寄せは犬に行っていた。ごはんは必ずもらえるものの1日1回だったし、ただいまのよしよしも無かった。けれど最近の家族の様子を見ていると、最低限の部分は信頼できる感じがする。

あまり長くは歩けなくても、排泄のため程度の散歩は毎日欠かさない。ごはんは1日2回で、母があげられないときは父か兄に頼む。夜は庭から家の中に繋ぎ替える。玄関のクレートに毛布を敷いてあたたかく寝られるようにしている。吠え立てれば叱りつけるのではなくどうしたの?と訊ねる。完璧とは言えないまでも、最低限の、しかし大きな大きな変化。

母だけではなく、単にごはんあげといてと頼まれた兄が「ついでにぐるっと散歩もしてきた」と言っていたのを聞いて、あぁ実家のなかでの当たり前が変わったのだなと思ってほっとした。犬に関する最新の知見やドッグトレーニングの常識の変化をなにも知らなくても、家の中での価値観、当たり前にこうするしこう犬とコミュニケートするものという感覚が上書きされたみたいだ。

それでもそれはほんとにただ当たり前にやるべきことがまったくできていなかったのにようやくできるようになっただけで、よくロクちゃんはここまで無気力に陥ることもなく忍耐づよく待っていてくれたものだと切なく思う。わたしも体調を整えながらできるだけロングお散歩がんばってロクちゃんQOLに貢献しよう。ただ風のように走るのはちょっとやめてほしい。