toripiyotan

何回もおなじこと喋る

バースデーケーキ[ショートストーリー]

(注意:一部、死についての言及があります)

 

有毒な雨が大きな丸い窓の向こうを白く煙らせている。

ここではほとんどいつもそうだ。

強いか弱いかの違いだけで、空から地上への水の降下が我々を屋内に閉じ込める。

 

「誕生日おめでとう、R

直径20センチほどの丸いケーキの上でゆらゆら揺れるロウソクの炎を、Rは渋い顔で睨んでいる。

「なぜ今年もこれをしなければならないのでしょうか」

ヒューはRの向かい側で真面目な顔を作って言う。

「しなければならないのではなく、したいからしているのだよ」

Rはまだ睨んでいる。納得できていないらしい。Rは人ではないから誕生日というコンセプトを受け入れられないのだ。11回目になるというのに昨年とまったく同じ流れになりそうな様子を察して、ヒューは別の角度から説明を試みる。

R、これはわたしの育った社会の伝統なんだ。そのひとが生まれた日を毎年祝って喜びたいのだよ」

「しかしわたしは人ではありません。緊急補助システムです。わたしの誕生はわたしの製造日のはずですが」

ヒューはテーブルの上で肩肘をつき、髭の伸びた顎を無意識に撫でながら少し考えて言う。

「製造日はしかし覚醒していないだろう。人も胎内の状態では生まれていると言われない。全てではないが、肺呼吸と経口での栄養摂取が可能となるまで育ったのち胎外に出て初めて誕生と言われる。きみならそれは起動時と言えないかい?」

だから今日がきみの誕生日だというヒューにRが目を向ける。人と比較すれば皮膚の下で表情のために割かれたリソースは少ないが、それでもなにかに興味を引かれていることはわかる。

「知らなかったのかい」

ヒューが尋ねるとRは頷く。

「わたしの知識は限られています。非常用補助システムですから。本体システムからのアップデートからも隔絶されていますし。あなたからの知識と自己学習のみです」

 

Rは再びロウソクの炎に視線を落とした。

どちらも口を閉ざしているので雨に閉ざされた完全な静寂のなかにいる。日の沈まない星でヒューの体のため屋内を人工的な夜にしているが、ロウソクの灯りがふたりの顔を照らしている。

「あなたの文化的習慣は理解しました。しかしあなたにとって全てを失った日でもあるのでは?わたしは緊急補助システムです。わたしが起動したということはあなたがあらゆるサポートを失ったことを意味します。実際、わたしが目覚めた時、14人のクルーが死亡しており、ホームへは通信不可能で、生命維持システムさえ雨による浸食を受け始めていました」

「その通りだ、R

「ということは、このふたつを考え合わせると、いわゆるあなたが言うところの『そういう気分じゃない』を導くのではありませんか?」

ヒューは心の底から驚いた。いくらRがヒューの言葉から学習し仮説を立てることができたとしても、人間の感情を予測できるほどまでになるとは。Rはいま、明らかにヒューを気遣っている。

「きみを愛しているからね。『そういう気分』なんだよ」

「それはわたししかいないからでは」

誰かほかの人間が言ったならば照れ隠しの可愛らしさでも滲んだであろうセリフも、Rは事実の指摘とその確認として発する。

ヒューは微笑み、丸い窓の向こうの嫌になるほど見慣れた荒野と雨のカーテンを眺める。

11年見続けた風景。

はじめは生き延びるため無我夢中のなかで、のちに長い絶望と諦めのなかで見つめた風景。

 

R、きみはひとりになったらどうする?」

ぽつりと問われ、Rは両手を組んで真剣に答える。両手を組むのは頭をフル稼働させるときの体勢であり、真剣なのは表情へ回すパワーを節約しているからなのだが、しかしヒューからそう見えるというだけではなく状態としてもあながち間違ってはいない。

「それは仮定の話ですね。あなたの健康データに即死に繋がる病変は見られませんし、自死の兆候もないようですし。しかしあなたがたの寿命と医療リソースへのアクセス不可能性から考えると数年から数十年以内にあなたは他の14人のクルー同様、死亡することになる。その後わたしがどうなるのかについて知りたいと考えている。正しいですか?」

「その通りだよ。なにか希望はあるかい?きみはひとりになるし、必要であればきみを任意のタイミングでシャットダウンするようにしておくが」

「それは『死』ですか」

「そうだ」

 

Rはまた炎をじっと見つめている。溶けないロウソクの上でちらちらと揺れている。

「何も。何も必要ありません」

ヒューはRのうつむいた顔に目を戻した。

「なぜだ?きみは緊急補助システムだ。わたしが死ねばきみの仕事はおわりだ。なにより、こんなところでひとりいつまでとも分からない時間を延々と閉じ込められて過ごす必要はない。それはわたしには、ひどく残酷なことのように思える。きみを起動させたわたしには責任がある」

 

Rはヒューの言葉をよく噛み締めたのち、また真剣な顔でまっすぐヒューの黒い瞳を見つめて言った。

「いいえ、ヒュー。わたしはあなたから11年の間に多くを学びました。その中には『誕生』や『死』という抽象的な概念も含まれます。あなたがわたしを『誕生』させたのならその際にわたしの中にはすでに『死』は埋め込まれているはずです。それをわたしかあなたが任意の時まで早めるならばそれは『殺人』となるでしょう。わたしはあなたに『殺人』させたくはない」

ヒューは驚きと呆れの入り混じったなんとも言えない気持ちで背もたれに寄りかかった。

「きみは人間ではないのだからその論理に縛られる必要はないのではないかい?それに殺人はひどい、せめて自殺幇助と言ってくれ」

少し考えたのち、Rはまたうつむいた。

「もしかしたら、そうかもしれません」

 

ヒューはしばらく待ったがRがそれ以上なにか言う様子はなく、ひたすらゆらゆらと揺れる炎にかがみ込んで見ている。人工的な体と脳を持つはずの不思議な人格を宿した同居人の頑固さにため息をつき、ホログラフィックのケーキを消そうとヒューはパネルに手を伸ばした。すると、Rが顔を上げずに制止した。

「もう少し見ていましょう」

「気に入ったのかい?」

ヒューも両手で頬杖をついてケーキのロウソクの揺らぎを見つめる。

「わかりません」

Rの小さな答えが弱まった雨足の立てるざわめきの中でさえ消えそうに響く。

「でも、12本も用意しておいてください」